(原題:Mujeres Al Borde de un Ataque ed Nervious )87年作品。スペインの“巨匠”と言われて数々の賞をモノにしているペドロ・アルモドヴァル監督だが、個人的にはその作風は肌に合わない。有り体に言えば、どこが良いのか分からないのである。しかし、本作だけは別だ。筋書きの面白さもさることながら、独特のヴィジュアルが劇中シチュエーションと各キャラクターにマッチしている。快作と呼んでも差し支えが無い。
同棲中の俳優のペパとイヴァンは、映画の吹き替えで何とか生計を立てながら暮らしていた。ある日、イヴァンが失踪。思い出の詰まった部屋で一人で住むのは辛いペパは、部屋を貸すことにするが、イヴァンが新しい女と懇ろになっているという噂を聞いてしまう。そんな中、友人のカンデリャが、男関係のトラブルで彼女のアパートに転がり込む。
さらに、部屋を借りたいという若いカップルがやってくるが、男の方はイヴァンの息子である。しかしペパはその事は知らない。そして20年前にイヴァンの恋人であったルシアが精神病院を退院してくる。彼女はイヴァンを忘れるには彼を殺すしかないと思い込んでおり、銃を片手にイヴァンを追い回す。
映画が進むごとに出てくるキャラクターの危なさが昂進し、騒ぎが幾何級数的に大きくなる様子は、まさに壮観だ。それを盛り上げるのがこの監督独特の美的センスである。特に赤色の使い方は非凡だ。女たちのルージュの赤から衣裳をはじめトマトスープやCMの中のワイシャツに付いた血など、これでもかとケバケバしい赤の洪水が押し寄せる。
そして舞台の大道具・小道具もキッチュかつ繊細に練り上げられており、観ていて飽きることがない。女たちの造型もキレまくっており、大きすぎる口や長すぎる鼻、デフォルメされた顎など、まさにピカソの抽象画と見まごうばかりの大胆さだ。現在進行形で恋に生きるペパたちと、20年前に時間が止まったまま恋の幻を追いかけるルシアとの対比も強烈。それぞれ見据えるものが違うが、どちらも周囲が見えなくなるほど猪突猛進な暴走を展開する。
ペパ役のカルメン・マウラをはじめ、フリエタ・セラーノ、マリア・バランコら女優陣はいずれも快演。いつもはアクの強さを見せつけるアントニオ・バンデラスが、ここでは何となく地味な印象を受けるのもおかしい。ホセ・ルイス・アルカイネによるカメラと、ベルナルド・ボネッツィの音楽も快調。“神経衰弱ぎりぎり”どころか、それを超越した次元に突き抜けた、パッショネートな逸品である。
同棲中の俳優のペパとイヴァンは、映画の吹き替えで何とか生計を立てながら暮らしていた。ある日、イヴァンが失踪。思い出の詰まった部屋で一人で住むのは辛いペパは、部屋を貸すことにするが、イヴァンが新しい女と懇ろになっているという噂を聞いてしまう。そんな中、友人のカンデリャが、男関係のトラブルで彼女のアパートに転がり込む。
さらに、部屋を借りたいという若いカップルがやってくるが、男の方はイヴァンの息子である。しかしペパはその事は知らない。そして20年前にイヴァンの恋人であったルシアが精神病院を退院してくる。彼女はイヴァンを忘れるには彼を殺すしかないと思い込んでおり、銃を片手にイヴァンを追い回す。
映画が進むごとに出てくるキャラクターの危なさが昂進し、騒ぎが幾何級数的に大きくなる様子は、まさに壮観だ。それを盛り上げるのがこの監督独特の美的センスである。特に赤色の使い方は非凡だ。女たちのルージュの赤から衣裳をはじめトマトスープやCMの中のワイシャツに付いた血など、これでもかとケバケバしい赤の洪水が押し寄せる。
そして舞台の大道具・小道具もキッチュかつ繊細に練り上げられており、観ていて飽きることがない。女たちの造型もキレまくっており、大きすぎる口や長すぎる鼻、デフォルメされた顎など、まさにピカソの抽象画と見まごうばかりの大胆さだ。現在進行形で恋に生きるペパたちと、20年前に時間が止まったまま恋の幻を追いかけるルシアとの対比も強烈。それぞれ見据えるものが違うが、どちらも周囲が見えなくなるほど猪突猛進な暴走を展開する。
ペパ役のカルメン・マウラをはじめ、フリエタ・セラーノ、マリア・バランコら女優陣はいずれも快演。いつもはアクの強さを見せつけるアントニオ・バンデラスが、ここでは何となく地味な印象を受けるのもおかしい。ホセ・ルイス・アルカイネによるカメラと、ベルナルド・ボネッツィの音楽も快調。“神経衰弱ぎりぎり”どころか、それを超越した次元に突き抜けた、パッショネートな逸品である。