(原題:LES PLUS BELLES ANNÈES D'UNE VIE)ひたすら退屈な映画だった。何のために作った映画なのか不明だし、観る側もどこに感情移入して良いのか分からない。救いは上映時間が1時間半と短いこと。もしも2時間以上も引っ張っていたなら、確実に途中で寝ていた。
かつてレーシング・ドライバーとして活躍していたジャン・ルイも、老境に達した今では養護施設で無為な日々を送るのみだ。認知症を患っており、さらに元来天才肌の性格ゆえ、ホームでは他の入居者たちと打ち解けることは無い。心配した息子のアントワーヌは、昔ジャン・ルイが愛したアンヌを探しだし、父親に会わせることにする。現在でも溌剌と生きるアンヌに久々に再会したジャン・ルイだが、彼女を前にしても相手が誰だか分からない。それでも何度か顔を合わせるうちに、出会った頃の思い出が2人の脳裏に浮かぶ。
恋愛映画の傑作である「男と女」(1966年)の続編だ。もっとも、その間に「男と女Ⅱ」(86年)という作品があるのだが、私は観ていないし粗筋をチェックしても今回の映画とは直接には繋がっていないようなので、あえて無視する。
アンヌとジャン・ルイは五十数年ぶりに会うのだが、すでに彼の方は前後不覚になりつつある。いくら彼女が元気でも、これ以上話が進展する余地は無い。せいぜいドライブに出掛けるぐらいだ。しかしながら、このくだりが彼らの“夢の中の話”というオチが付いており、あまり興味を惹かれるネタではない。
作り手はそれでは場が保たないと思ったのか、66年製作の前回のシーンを大々的に挿入するという作戦に出る。だが、それは前作の優位性を再確認するばかりで、何ら本作自体のクォリティに反映されるものではない。どうせなら、思い切ってアントワーヌとアンヌの娘フランソワーズとの“新たな男と女のストーリー”を始めた方がずっと良かったと思う。
結局、本作の見どころは、前作からの主役ジャン=ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメ、そして監督のクロード・ルルーシュが健在であることが確認出来たことだろう。特にアヌーク・エーメは今でも色っぽく、さすがフランス女優(?)だと感心させられた。劇中にはあのフランシス・レイの名スコアも流れていたが、映画音楽史上に残る仕事を成したこの作曲家も、2018年には世を去っている。月日の流れを感じてしまう。
かつてレーシング・ドライバーとして活躍していたジャン・ルイも、老境に達した今では養護施設で無為な日々を送るのみだ。認知症を患っており、さらに元来天才肌の性格ゆえ、ホームでは他の入居者たちと打ち解けることは無い。心配した息子のアントワーヌは、昔ジャン・ルイが愛したアンヌを探しだし、父親に会わせることにする。現在でも溌剌と生きるアンヌに久々に再会したジャン・ルイだが、彼女を前にしても相手が誰だか分からない。それでも何度か顔を合わせるうちに、出会った頃の思い出が2人の脳裏に浮かぶ。
恋愛映画の傑作である「男と女」(1966年)の続編だ。もっとも、その間に「男と女Ⅱ」(86年)という作品があるのだが、私は観ていないし粗筋をチェックしても今回の映画とは直接には繋がっていないようなので、あえて無視する。
アンヌとジャン・ルイは五十数年ぶりに会うのだが、すでに彼の方は前後不覚になりつつある。いくら彼女が元気でも、これ以上話が進展する余地は無い。せいぜいドライブに出掛けるぐらいだ。しかしながら、このくだりが彼らの“夢の中の話”というオチが付いており、あまり興味を惹かれるネタではない。
作り手はそれでは場が保たないと思ったのか、66年製作の前回のシーンを大々的に挿入するという作戦に出る。だが、それは前作の優位性を再確認するばかりで、何ら本作自体のクォリティに反映されるものではない。どうせなら、思い切ってアントワーヌとアンヌの娘フランソワーズとの“新たな男と女のストーリー”を始めた方がずっと良かったと思う。
結局、本作の見どころは、前作からの主役ジャン=ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメ、そして監督のクロード・ルルーシュが健在であることが確認出来たことだろう。特にアヌーク・エーメは今でも色っぽく、さすがフランス女優(?)だと感心させられた。劇中にはあのフランシス・レイの名スコアも流れていたが、映画音楽史上に残る仕事を成したこの作曲家も、2018年には世を去っている。月日の流れを感じてしまう。