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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「カツベン!」

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 まったく面白くない。それどころか、神経を逆撫でされて愉快ならざる気分になる。いくら周防正行監督がここ約10年間不調だったとはいえ、今回は題材が映画そのものであり、映画人としてはまさかこのネタでスベるはずがないと予想していたのだが、甘かった。もはやこの監督に多くを期待するのは、無理な注文であると確信した次第。

 大正初期。関西の小さな町に住む俊太郎は、子供の頃から活動弁士になることを夢見ていたが、大人になってやっていることといえば、映画興行の一座を装った窃盗団のニセ弁士だった。警察に追われた際に一味が奪った大金と共に逃げ出した俊太郎だが、彼が流れ着いた先は隣町のライバル映画館に押されて閑古鳥が鳴いている青木館だった。そこで住み込みで雑用を任される彼に、専任弁士のピンチヒッターとして観客の前に立つチャンスがめぐってくる。



 けっこうな額の金を手にしていながら、主人公は高飛びすることもなく、この地域をウロウロしているのがまず納得出来ない。一味のボスをはじめ、それを追う警部も近くにいるにも関わらずである。しかも青木館には伝説の名弁士がいて、若手女優は専任弁士と交際しており、映画監督も当地に滞在しているという、この超御都合主義には呆れるばかりだ。

 後半は金をめぐる追っかけ劇になるが、これが緊張感のカケラも無い。繰り出されるギャグも、滑ったの転んだのという低レベルなものばかりで、弛緩した段取りも相まってクスリとも笑えない。だいたい、弁士に憧れていながら長じて平然と泥棒の片棒を担いでいた俊太郎に、感情移入出来る余地などありはしない。

 そして最大の不満点は、活動弁士というシステムに対するハッキリとした批判精神が見当たらないことだ。劇中で弁士が“駄作でもカツベン次第で傑作になるのさ”とか“映画はそれ自体で完成されたもので、カツベンは余計なものだ”とかいう意味のセリフを吐くことでも分かる通り、活動弁士を擁した上映は本来の映画興行とは違う“演芸”なのだ。事実、主人公も嬉々として映画の本筋とは関係ない解説を客の前で敢行する。ある意味、これは映画をバカにしていると思う。

 その不遜な姿勢は中盤に悪者によってバラバラにされたフィルムを繋ぎ合わせ、支離滅裂な内容の“映画もどき”を堂々と劇場で公開するくだりで最高潮に達する。いったいこれは何の茶番なのだろうか。ズタズタにされた映画を上映してウケを狙うという、映画作家として最もやってはいけないことを堂々と実行した時点で、本作のワーストテン入りは決定したようなものだ。

 主演の成田凌をはじめ、井上真央に渡辺えり、黒島結菜、小日向文世、永瀬正敏、竹野内豊、高良健吾、竹中直人と悪くない面子揃えていながら、いずれも精彩を欠く。それにしても、劇中で登場人物達がフィルムのことを“ふいるむ”と発音していたのが気になった。当時はそう読んでいたのかもしれないが、いずれにしても気分が悪い。

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