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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「アマンダと僕」

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 (原題:AMANDA)薄味の展開が目立ちドラマにすんなりと入っていけない点は気になるが、総体的には悪くないシャシンじゃないかと思う。また、現在のフランスおよびヨーロッパが置かれている社会的状況が少し垣間見える。第31回東京国際映画祭でグランプリと最優秀脚本賞をダブル受賞している。

 パリの下町で便利屋兼“民泊”用アパートの管理人として働く青年ダヴィッドは、時折シングルマザーの姉サンドリーヌとその娘で9歳のアマンダに振り回されながらも、平和な日々を送っていた。また、アパートに滞在することになった若い女レナとも良い仲になる。しかし、ある日突然悲劇が起きる。無差別テロによってサンドリーヌは死亡し、レナも重傷を負う。ダヴィッドは身寄りがなくなったアマンダの世話を引き受けることになるが、若い彼には親代わりとして子供に接することは重荷だった。そんな中、イギリスに住む彼の母親アリソンから誘いを受け、ダヴィッドとアマンダは英国に旅立つ。

 テロの場面は“起こった後”しか映し出されず、しかも描写は淡々としてインパクトは無い。サンドリーヌとレナがどういう状況で災難に遭ったのかも分からない。ハリウッド映画みたいに派手な場面を挿入する必要は無いとは思うが、もう少し説明的な扱い方をして欲しい。

 ダヴィッドのキャラクターはハッキリしない。しかしながら、静かに暮らしていた若者が思いがけない境遇に追いやられると、戸惑って感情が表に出なくなるのかもしれない。アマンダの方も、叔父にどう向き合えば良いのか分からず、立ち竦むばかりだ。

 これが事故や病気で肉親を亡くしていたのなら少しは違うだろうが、テロという理不尽極まりない災厄でこのような状態になったせいで、根底に流れる悲しみはより苦く、やりきれないものなのだ。そんな硬直したシチュエーションが次第に揉みほぐされていくプロセスを、ウィンブルドンでのテニスの試合に重ねて描く終盤の処理は気が利いていると思う。

 ダヴィッドに扮するヴァンサン・ラコストとアマンダ役のイゾール・ミュルトゥリエは好演で、特にミュルトゥリエの存在感は光る。レナを演じるステイシー・マーティンは相変わらず可愛いし、アリソン役として往年の(?)セクシー女優グレタ・スカッキが出ているのも嬉しい。ミカエル・アースの演出にはもうちょっとケレン味が欲しいが、まずは及第点。パリの名所が数多く出てくるあたりも、観光気分を味わえる。

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