(原題:Mulholland Drive)2001年作品。メチャクチャ面白い。まさに傑作。それまではデイヴィッド・リンチ監督の代表作といえば、何といっても一発目の「イレイザーヘッド」(76年)だと信じて疑わなかったが、この映画はその見解を激しく揺るがしてしまった。観た後はしばらく夢にうなされること請け合いの、劇薬とも言えるシャシンだ。
車の助手席に座っていたリタは突然運転手の男に襲われ、抵抗しているうちに車は事故を起こす。傷を負って何とか逃げ出した彼女は、高級アパートの一室に忍び込んで身を隠すが、ショックで記憶を失ってしまった。叔母を頼ってハリウッドにやってきた女優志望のベティは、アパートにいたリタを叔母の友人と思い込んでしまう。リタは奇妙な形の青い鍵を持っていたが、何に使うのか分からない。しかしリタは“マルホランド・ドライブ”という言葉だけは頭に残っており、ベティはそれを手掛かりに彼女の記憶を取り戻す手助けをする。
リンチ監督が97年に撮った「ロスト・ハイウェイ」は“ワケのわからんことを延々と積み重ねた映画”ならば、これは“ワケのわからんことを山積みにして、一回すべてぶち壊し、また別のワケのわからんことを並べ立て、最後にワケのわからんオチ(らしきもの)を付けた映画”である(意味不明?)。
そして「ロスト~」よりずっと映画ファンの琴線に触れるのは、ハリウッドという魔物を何のドラマツルギー的精査を通さずに不気味なまんまで提示しているせいだろうか。いわばビリー・ワイルダー監督の「サンセット大通り」(1950年)の凶悪なパロディか。
前半の、夢と希望を抱いてハリウッドに乗り込むヒロインとプロデューサーの陰謀により消されそうになる大部屋女優は紙一重。さらに登場人物のキャラクターが複雑怪奇に入れ替わる幻惑的な後半の展開は、ハリウッドに呑み込まれアイデンティティを喪失した者たちに対するリンチ監督のアイロニーとも言える。しかし、本当はこんな“解釈”などどうでもいい。まずはこの圧倒的な緊張感と不気味さを思う存分楽しむべきだろう。
ナオミ・ワッツとローラ・エレナ・ハリングのダブル・ヒロインが最高。キレイで、そしてエロい(笑)。異世界を創造するピーター・デミングのカメラ、アンジェロ・バダラメンティの音楽、ジャック・フィスクの美術、全てが禍々しく、そして蠱惑的だ。
車の助手席に座っていたリタは突然運転手の男に襲われ、抵抗しているうちに車は事故を起こす。傷を負って何とか逃げ出した彼女は、高級アパートの一室に忍び込んで身を隠すが、ショックで記憶を失ってしまった。叔母を頼ってハリウッドにやってきた女優志望のベティは、アパートにいたリタを叔母の友人と思い込んでしまう。リタは奇妙な形の青い鍵を持っていたが、何に使うのか分からない。しかしリタは“マルホランド・ドライブ”という言葉だけは頭に残っており、ベティはそれを手掛かりに彼女の記憶を取り戻す手助けをする。
リンチ監督が97年に撮った「ロスト・ハイウェイ」は“ワケのわからんことを延々と積み重ねた映画”ならば、これは“ワケのわからんことを山積みにして、一回すべてぶち壊し、また別のワケのわからんことを並べ立て、最後にワケのわからんオチ(らしきもの)を付けた映画”である(意味不明?)。
そして「ロスト~」よりずっと映画ファンの琴線に触れるのは、ハリウッドという魔物を何のドラマツルギー的精査を通さずに不気味なまんまで提示しているせいだろうか。いわばビリー・ワイルダー監督の「サンセット大通り」(1950年)の凶悪なパロディか。
前半の、夢と希望を抱いてハリウッドに乗り込むヒロインとプロデューサーの陰謀により消されそうになる大部屋女優は紙一重。さらに登場人物のキャラクターが複雑怪奇に入れ替わる幻惑的な後半の展開は、ハリウッドに呑み込まれアイデンティティを喪失した者たちに対するリンチ監督のアイロニーとも言える。しかし、本当はこんな“解釈”などどうでもいい。まずはこの圧倒的な緊張感と不気味さを思う存分楽しむべきだろう。
ナオミ・ワッツとローラ・エレナ・ハリングのダブル・ヒロインが最高。キレイで、そしてエロい(笑)。異世界を創造するピーター・デミングのカメラ、アンジェロ・バダラメンティの音楽、ジャック・フィスクの美術、全てが禍々しく、そして蠱惑的だ。