(原題:Otac na sluzbenom putu)85年ユーゴスラビア作品。エミール・クストリッツァ監督の真骨頂であるオフビートな作劇が展開されているが、後の「アンダーグラウンド」(95年)以降の作品に比べれば“普通”の映画に見える。ただし、それだけ広範囲な訴求力が備わっているとの解釈も可能で、幅広く奨められるシャシンと言えよう。
1950年、サラエボに住む6歳のマリクは、父メーシャ、母セーナ、そして祖父ムザフェルらの愛情に包まれ、楽しい日々を送っていた。ところがある日、メーシャが突然逮捕される。彼の不倫相手であるアンキッツァとのアヴァンチュールの途中、うっかり国家を批判する発言をしてしまったのだ。
アンキッツァはそのことを人民委員会のジーヨに密告。ジーヨはセーナの兄でもあり、怒ったジーヨはメーシャを地方の鉱山での奉仕労働に追いやる。父が家に帰らないことを不審に思ったマリクは母親に事情を尋ねるが、セーナは“パパは出張中よ”と答えるしかなかった。やがて一家は父親の“流刑先”の近くの町に住むことになったが、僻地とはいえ一家そろって暮らせるのは、マリクにはとって有り難かった。
とにかくこの父と子のキャラクターが個性的だ。メーシャは平気でヨソの女と懇ろになり、嘘をつき、娼婦も買い、カミさんを泣かせる。しかし仕事はマジメだし、家族を大事にしているし、何があってもへこたれない強さもある。マリクは夢遊病であるというのがケッ作で、たびたび騒動を起こす。特にマリクの叔父の結婚式における顛末は、けっこう笑わせる。
ただし、このエネルギッシュな群像劇に、シビアな社会状況が影を落としていることは見逃せない。当時はチトー大統領による5ヵ年計画が発動し、ユーゴスラビアはソ連のスターリン主義に対抗しようとしていたが、それでも市民の自由は抑圧され、ストレスの溜まる状況だった。それが暴発したのが91年からのユーゴスラビア紛争で、本作はその前に作られたにも関わらず、何となく不穏な空気を描き出すことに成功している。クストリッツァの演出はテンポが良く、ゾラン・シミャノヴィッチによる野趣に富んだ音楽も効果的だ。第38回カンヌ国際映画祭における大賞受賞作である。
1950年、サラエボに住む6歳のマリクは、父メーシャ、母セーナ、そして祖父ムザフェルらの愛情に包まれ、楽しい日々を送っていた。ところがある日、メーシャが突然逮捕される。彼の不倫相手であるアンキッツァとのアヴァンチュールの途中、うっかり国家を批判する発言をしてしまったのだ。
アンキッツァはそのことを人民委員会のジーヨに密告。ジーヨはセーナの兄でもあり、怒ったジーヨはメーシャを地方の鉱山での奉仕労働に追いやる。父が家に帰らないことを不審に思ったマリクは母親に事情を尋ねるが、セーナは“パパは出張中よ”と答えるしかなかった。やがて一家は父親の“流刑先”の近くの町に住むことになったが、僻地とはいえ一家そろって暮らせるのは、マリクにはとって有り難かった。
とにかくこの父と子のキャラクターが個性的だ。メーシャは平気でヨソの女と懇ろになり、嘘をつき、娼婦も買い、カミさんを泣かせる。しかし仕事はマジメだし、家族を大事にしているし、何があってもへこたれない強さもある。マリクは夢遊病であるというのがケッ作で、たびたび騒動を起こす。特にマリクの叔父の結婚式における顛末は、けっこう笑わせる。
ただし、このエネルギッシュな群像劇に、シビアな社会状況が影を落としていることは見逃せない。当時はチトー大統領による5ヵ年計画が発動し、ユーゴスラビアはソ連のスターリン主義に対抗しようとしていたが、それでも市民の自由は抑圧され、ストレスの溜まる状況だった。それが暴発したのが91年からのユーゴスラビア紛争で、本作はその前に作られたにも関わらず、何となく不穏な空気を描き出すことに成功している。クストリッツァの演出はテンポが良く、ゾラン・シミャノヴィッチによる野趣に富んだ音楽も効果的だ。第38回カンヌ国際映画祭における大賞受賞作である。