馬鹿臭い映画だ。先日観た「オブリビオン」は序盤で早々にネタが割れるが、この作品はほとんどファーストシーンで“仕掛け”が分かってしまう。もちろん、ネタがバレたことを承知であとは“語り口”によって映画を引っ張っていくというやり方もあるが、本作は効果的な工夫がまったく見当たらず、鑑賞後の徒労感は実に大きい。
漫画家の淳美は1年前に自殺未遂を引き起こして以来、昏睡状態に陥っている。幼馴染で恋人の浩市は何とか彼女を目覚めさせようと、患者と意思の疎通が可能となる特殊な医療システムにより、淳美の脳内にサイコダイビングを試みる。
冒頭近く、精神病棟で浩市が医者からこのシステムの概要を聞く場面があるが、この医者の芝居がかった口調と何とも実体感の無い病院の様子を見て“ハハア、これはやっぱりアレだろう”と思っていると、実際にその通りに話が進んでいくのだから呆れる。
浩市は淳美の意識の中で彼女とコンタクトを取ることに成功するが、淳美は当分目覚める気は無いらしい。そして何かというと“小学生の頃に描いた首長竜の絵を探してきて”と頼むばかり。仕方なく彼はその絵を見つけ出そうとするが、その過程で謎めいた少年の姿がたびたび出現する。この少年は二人の子供時代に何かトラウマになるような事件の当事者であったことがやがて明らかになるが、その真相とやらは拍子抜けするほど在り来たりだ。しかも、首長竜うんぬんはその事件と強引に結びつけられたような子供じみた(まあ、実際に子供なのだが ^^;)モチーフでしかないのだから脱力する。
題材である“内面世界の描写”というのは映画作家ならば誰しも気負って作りたくなるはずだが、ここでは悲しいほどインパクトが無い。小手先の映像ギミックを散りばめれば観客は驚くだろうという、随分とナメた姿勢しか窺えないのだ。少なくともクリストファー・ノーラン監督の「インソムニア」の足元にも及ばない。
主人公達が現実世界で命の危険に迫られ、一方内面世界ではトラウマの実体化である首長竜に追いかけられるというクライマックス場面は盛り上がってしかるべきだが、これが最低。サスペンス皆無で、しかも首長竜のSFXの造型があまりにも稚拙。こんな調子で脳天気なラストを提示してもらっても、観ているこちらは困るのだ。
驚くべきは、本作の監督が黒沢清であること。廃墟などのロケーションに“クロサワ印”が見受けられるものの、あとはいつもの彼らしいニューロティックな持ち味がまったく出ていない。この映画はオリジナル脚本ではなく(原作は乾緑郎による小説)、また常連である役所広司が出ていないことを考え合わせても、この生気の無い演出には落胆するばかりだ。
主演の佐藤健と綾瀬はるかは熱演だが、話自体がショボいのでその頑張りも徒労に終わっている。中谷美紀やオダギリジョー、染谷将太といった脇の面子も大した仕事はさせてもらっていない。