Quantcast
Channel: 元・副会長のCinema Days
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2422

「ファースト・マン」

$
0
0

 (原題:FIRST MAN )デイミアン・チャゼル監督は登場人物の内面描写がまったく出来ないことを、如実に示した一編。もっとも“傑作「セッション」(2014年)では、主人公たちの狂気じみた生態をヴィヴィッドに描いていたではないか”という指摘もあるだろうが、あの作品は常軌を逸した人間の言動(≒外観)をスペクタキュラーに追っただけだ。本当の“狂気”が内在しているのは登場人物ではなく、題材の“音楽”そのものにあった。

 対して本作は、人類で初めて月面に足跡を残した宇宙飛行士ニール・アームストロングの伝記映画である。当然、そこには主人公の葛藤や、困難なミッションに挑む使命感、そしてそれらの背景になる強力な動機付けが、明確に示されることが不可欠だ。しかし、この映画には見事に何もない。

 全編に渡って気になるのが、主人公のクローズアップのショットが目立つことだ。しかも、大写しになるニールの表情は、どれもあまり変わらない。つまり、作者はキャラクターにカメラを近付ければ内面が描ける(だから他には何もやらなくて良い)と思い込んでいるのだ。こんな調子で伝記映画など、撮れるわけがない。

 彼はなぜ宇宙飛行士を目指したのか、仲間との関係性はどうだったのか、どのような経緯でアポロ11号のクルーになったのかetc. そういった大事なことが示されていない。NASAの成り立ちも、競争相手であるソ連の宇宙開発の詳細も、ほとんど説明されない。そもそも、アポロ計画の概要はもとより、アポロ11号の飛行プロセスや、それに伴う具体的な困難性さえ省略されている。

 反面、アームストロングの家族に関するパートは多くを占める。もちろん、それがドラマ的に機能していれば文句は無いのだが、これが“娘が幼くして病死し、それをニールは悲しんでいること”および“カミさんが心配していること”といった、通り一遍のことが表面的に描かれるだけだ。

 また、クローズアップは登場人物だけではなく、ニールが乗る宇宙船や訓練機器のメカ類に対しても向けられる。しかも、画面のブレは酷く、不快な風切音や機械音が遠慮会釈なくバックに流れる。これらがもたらす圧迫感は相当なもので、すでに中盤で鑑賞意欲を喪失した。

 思わせぶりに空に浮かぶ月を何度も捉えたショットも効果なし。カメラを引いて広大な宇宙空間を映し出し、それに挑む主人公たちのフロンティア精神を描出するぐらいのことを、どうして出来なかったのか。ニールの個人的な(かつ表層的な)難行苦行ばかりが続いても、面白くも何ともない。

 主演のライアン・ゴズリングは、冴えない演出も相まって、ここでは大根に見える。カミさん役のクレア・フォイをはじめ、あとのキャストもパッとしない。各映画アワードの候補からは外れているのも、何となく分かるような内容だ。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2422

Trending Articles