(原題:La Femmes Publique)84年作品。高踏的かつスノッブな作風で、公開当時はあまり良い評価は受けていなかった記憶があるが、私はけっこう好きな作品だ。とにかく、主演の若手女優ヴァレリー・カプリスキーの魅力が圧倒的で、観る者を捻じ伏せてしまう。
パリに住む若い娘エテルはヌード写真のモデルをしているが、実は女優志望である。たまたま受けた映画のオーディションで、エテルは新人監督のリュカ・ケスリングの目にとまり、ドストエフスキーの「悪霊」の映画化作品への出演が決まる。彼女はケスリング本人とも懇ろな仲になるが、ある日エテルは彼の家で女の声がするのを耳にする。顔は見えなかったが、その女は金色の靴を履いていることが分かる。
そして部屋にあった彼女のバックの中から、チェコのパスポートを見つける。何日か経った後、テレビのニュースは身元不明の女性の死体が見つかったことを報じ、その女は金色の靴を履いていたという。ケスリングが事件に関与しているのではないかと疑うエテルは、彼がチェコからの亡命者を匿っている事実を突き止める。
筋立てはサスペンス映画だが、謎解きに比重は置かれていない。それどころか、ラストでは事件が解決したのかどうかも判然としない。たぶんこれは、映画製作の深淵に引き込まれた監督の姿を、80年代末の変革を前にした東欧の切迫した状況を背景に、極端な変化球で表現したものであろう。
しかしながら、正直そのモチーフにはピンと来ない。そんな映画作家の屈託よりも、エテルを演じたカプリスキーの存在感にただただ驚くばかりだ。奔放すぎるその内面を、街中をハイスピードで闊歩するシーンや、カメラの前で挑発的に動き回るシークエンスで存分に印象付けている。彼女がこの映画の前に出た「聖女アフロディーテ」(83年)でもそのグラマラスな肢体は披露されていたが、本作では完璧な肉体美を存分に見せつけている。
監督はアンジェイ・ズラウスキーだが、彼の代表作「ポゼッション」(81年)とは違い、ヒロインは狂言回し的な役どころながら、共演のフランシス・ユステールやランベール・ウィルソンらの神経症的な佇まいを軽く凌駕している。カプリスキーのパフォーマンスを見るだけで入場料の元は取れるだろう。サッシャ・ヴィエルニーの撮影とアラン・ウィスニアックの音楽も要チェックだ。