(原題:UTZ )92年イギリス=イタリア合作。少しでも収集癖のある者にとって、この映画の主人公の生き方と内面に魅せられるだろう。かくいう私も、子供の頃には切手やコインを集めたし、今でも“映画の鑑賞歴”という事物を着実にコレクトしている(笑)。だから、私は劇中の登場人物ほどマニアックではないものの、モノに執着する人間の心情には共感してしまう。
80年、プラハのオークション会場で、ニューヨークの古美術商マリウスはマイセン焼の人形のコレクターである初老の男、カスパー・ウッツと知り合う。2人は再会を約束してその場は別れるが、ウッツには秘密があった。彼の膨大なコレクションには、すべて国立博物館のラベルが貼られていたのだ。
旧体制下のチェコスロヴァキアで、彼は社会主義政権に楯突きながら粛々と祖国の伝統工芸品を保管することに腐心していた。やがてマリウスはウッツが危篤状態になったことを知り、プラハを訪れる。だが、大量にあったはずのウッツ保有のマイセン焼はどこかに消えていた。イギリスの作家ブルース・チャトウィンの小説の映画化だ。
とにかく、劇中で紹介されるマイセン焼の逸品の数々に見入ってしまう。そして、その美しさに心を奪われつつも、孤独な人生を歩み、そのコレクションの素晴らしさを共有出来る仲間に恵まれないまま世を去らねばならないウッツの境遇には、実に感じ入るものがある。
見事な美術品も、抑圧的な社会に対して孤高を保った日々も、いずれ失われてゆく。その無常観は心に染みた。ジョルジュ・シュルイツァーの演出は映像構築に粘り強さを見せるが、どうにも展開がぎこちなく、味わいに欠ける。ラストの扱いも、もう少しドラマティックであってもいい。
だが、主演のアーミン・ミューラー・スタールの仕事ぶりは確かなものだ(92年のベルリン国際映画祭で主演賞を獲得している)。ウッツの身の回りの世話をするメイド役のブレンダ・フリッカーも妙演だし、風変わりな科学者に扮するポール・スコフィールドは儲け役である。マリウス役のピーター・リガートも悪くない。
関係ない話だが、陶器といえば、以前は佐賀県有田町で開催される陶器市に何度も足を運んだものだ。もっとも行った理由は親戚筋の付き添いであり、陶磁器に対してそれほどの興味は無いのだが、中にはそんな私でも目を見張ってしまう見事な商品に出会うこともある。こういう美しいグッズに囲まれた生活というのも、けっこうオツなものだと思ってしまった。
80年、プラハのオークション会場で、ニューヨークの古美術商マリウスはマイセン焼の人形のコレクターである初老の男、カスパー・ウッツと知り合う。2人は再会を約束してその場は別れるが、ウッツには秘密があった。彼の膨大なコレクションには、すべて国立博物館のラベルが貼られていたのだ。
旧体制下のチェコスロヴァキアで、彼は社会主義政権に楯突きながら粛々と祖国の伝統工芸品を保管することに腐心していた。やがてマリウスはウッツが危篤状態になったことを知り、プラハを訪れる。だが、大量にあったはずのウッツ保有のマイセン焼はどこかに消えていた。イギリスの作家ブルース・チャトウィンの小説の映画化だ。
とにかく、劇中で紹介されるマイセン焼の逸品の数々に見入ってしまう。そして、その美しさに心を奪われつつも、孤独な人生を歩み、そのコレクションの素晴らしさを共有出来る仲間に恵まれないまま世を去らねばならないウッツの境遇には、実に感じ入るものがある。
見事な美術品も、抑圧的な社会に対して孤高を保った日々も、いずれ失われてゆく。その無常観は心に染みた。ジョルジュ・シュルイツァーの演出は映像構築に粘り強さを見せるが、どうにも展開がぎこちなく、味わいに欠ける。ラストの扱いも、もう少しドラマティックであってもいい。
だが、主演のアーミン・ミューラー・スタールの仕事ぶりは確かなものだ(92年のベルリン国際映画祭で主演賞を獲得している)。ウッツの身の回りの世話をするメイド役のブレンダ・フリッカーも妙演だし、風変わりな科学者に扮するポール・スコフィールドは儲け役である。マリウス役のピーター・リガートも悪くない。
関係ない話だが、陶器といえば、以前は佐賀県有田町で開催される陶器市に何度も足を運んだものだ。もっとも行った理由は親戚筋の付き添いであり、陶磁器に対してそれほどの興味は無いのだが、中にはそんな私でも目を見張ってしまう見事な商品に出会うこともある。こういう美しいグッズに囲まれた生活というのも、けっこうオツなものだと思ってしまった。