(原題:LE REDOUTABLE )主演女優の魅力で何とか最後まで付き合うことが出来たが、内容自体はまったく面白くない、作劇及び脚本の質が悪いのはもとより、そもそも作者は題材に対して何の関心も抱いていないようだ。いかなる理由でこの映画が製作される運びになったのか、さっぱり分からない。
1967年。パリの大学で哲学を学ぶアンヌは、当時革新的な映画手法で一大センセーションを巻き起こしていたジャン=リュック・ゴダール監督と知り合う。ゴダールが同年撮った「中国女」の主演に抜擢され、そのまま彼と結婚。ゴダールの仲間たちとの交流や、撮影現場のエキサイティングな雰囲気など、結婚後の日々はアンヌにとって生まれて初めての刺激的なものであった。
一方、68年には五月革命が勃発。パリの街ではデモ活動が日ごとに激しさを増し、ゴダールも革命に大きな関心を示す。だが、同時にアンヌとの仲は徐々に冷え切ってゆく。ゴダールの2番目の妻であったアンヌ・ヴィアゼムスキーによる、自伝的小説の映画化だ。
とにかく、全編を通して何も描かれていないのには参った。アンヌがどうしてゴダールに惹かれて結婚することになったのか、ゴダールはどのような動機で五月革命に関わるようになったのか、その頃“映画を変えた”とまで言われていたゴダールの、斬新な作風の真髄とは何か、そしてなぜ最終的に2人は分かれるに至ったのか等々、大事なことは一切提示されていない。
その代わりに取り上げられているのは、当時の風俗とファッション、そしてゴダールが何度もデモ隊に巻き込まれ、そのたびにメガネを割ってしまうという脱力ギャグだけだ。アンヌとゴダールとの結婚生活はおよそ10年続くのだが、映画ではその時間の流れが捉えられていないのも減点対象である。
ミシェル・アザナヴィシウスの演出はメリハリが乏しく、同じようなシーンの繰り返しで観ていて眠くなる。しかし、アンヌに扮するステイシー・マーティンの可愛さで、どうにか途中で寝入ることを回避できた(笑)。ルックスの良さはもちろん、仕草やセリフ回しも実にキュート。しかも大胆で奔放だ。彼女のプロモーション・フィルムだと割り切ってみれば、それほど腹も立たない。
反面ゴダール役のルイ・ガレルや、ベレニス・ベジョ、ミーシャ・レスコ、グレゴリー・ガドゥボワといった他のキャストはほとんど印象に残らないが、これも仕方がないだろう。ギョーム・シフマンによる撮影も、特筆されるものはない。