(原題:DENIAL)映画の出来そのものよりも、題材と提示される事実にとても興味を覚えた。当然ながら映画は素材よりも中身で評価されるべきものだが、時として“例外”もあり得るのだろう。
94年、アトランタにあるエモリー大学で講演中の歴史学者デボラ・E・リップシュタットは、突然イギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィングから異議を唱えられる。リップシュタットはユダヤ人で、第二次大戦中のナチスによるホロコーストの研究に関して成果を上げていたが、アーヴィングはホロコースト自体が存在しなかったと主張するホロコースト否定論者だった。
リップシュタットは彼を相手にする価値も無い人間と見なして適当にあしらうが、後日アーヴィングは彼女を英国の裁判所に名誉毀損で提訴する。イギリスでは被告側に立証責任があるため、リップシュタットは相手が標榜する“ホロコースト否定論”を崩さなければならない。ユダヤ系人脈の援助もあり、彼女のために英国人による大弁護団が組織される。そして2000年1月、審議が王立裁判所で始まった。リップシュタット自身の回顧録の映画化だ。
ハッキリ言って、こういうネタでわざわざ裁判を起こす方がどうかしている。しかも、アーヴィングは弁護人も立てておらず、まるで法廷を自身の“演説会場”とでも思っているような雰囲気だ。しかし、裁判所で歴史的事実の検証なんか実施出来るはずもなく、あくまで内容は名誉毀損があったかどうかである。映画も史実の詳細については言及していない。そもそも2時間程度では総括できないので、的確な措置である。しかも、歴史の重みをアウシュビッツの現地調査の場面で一気に語ってしまう処理も申し分ない。
そして驚いたのは、弁護士チームは公判中に被告のリップシュタットにまったく発言を許さず、ホロコーストの生き残りも証人として出廷させていないことだ。もしもそれを実行してしまうと、話がセンチメンタリズム方向に振られてしまい、裁判としても映画自体も“終わって”いたはずで、これは冷静な対処法だと言いたい。やはり裁判に勝つには“戦略”が必要なのだ。
レイチェル・ワイズ演じるリップシュタットはヒステリックで自己主張のみが強く、まったく共感できない。弁護団は沈着冷静で職務を遂行していくが、あまり面白味のある描き方はされていない。もうちょっとケレンを効かせて欲しかったというのが正直な感想だ。とはいえ、ライトな娯楽派であるミック・ジャクソン監督としては、健闘している部類だろう。
ハリス・ザンバーラウコスのカメラによる寒色系の深みのある画面、ハワード・ショアの堅実なスコアは認めて良い。敵役のティモシー・スポールをはじめ、トム・ウィルキンソン、アンドリュー・スコット、ジャック・ロウデンといった渋い顔ぶれが揃っているのも嬉しい。