(原題:MONSIEUR HIRE )89年作品。「髪結いの亭主」(90年)「橋の上の娘」(99年)などで知られるパトリス・ルコント監督の、現時点での最高作がこの映画である。美しくも残酷なストーリーと、ストイックでありながら官能的な映像美が観る者を魅了する。この頃のフランス映画の代表作と言えよう。
仕立て屋の中年男イールはおとなしく几帳面だが、性犯罪の前科があり、折しも近所で発生した殺人事件の参考人として警察からマークされている。彼の目下の楽しみは、向かいの部屋に暮らす若い女アリスの姿を覗き見ることだ。イールは彼女に恋人がいることを知っているが、そんなことはお構いなしにアリスに一方的に恋していた。
ある日、アリスはイールが自分を覗いていることを知る。だが、あろうことか彼女の方からイールに接近してくる。実はアリスは自分の恋人エミールが殺人事件の犯人であることを、イールが察知しているのではないかと疑い、確かめようとしたのだ。イールはそんな彼女の思惑を見抜いた上で、それでもアリスに対する恋心を捨てない。ジョルジュ・シムノンのミステリー小説の映画化である。
若い娘の部屋を凝視する主人公は、有り体に言えば立派な“変態”である。ところが作者は、そんな下世話な感想を観客が持つことを許さない。自分の思いは決して報われることはない。しかし、そのペシミスティックな感慨が名状しがたい陶酔を呼び込む。これは立派な“純愛”なのだ。
やがて相手がただ覗き見るだけの対象ではなくなり、実際に言葉を交わすような存在になっても、悲恋になることは十分承知している。だが、心のどこかでこのまま彼女と上手くやっていけるのではないかという、はかない希望が顕在化し、現実とのギャップに身悶えする。このイールのピュアな心情は、終盤の暗転にもいささかも動じることはない。ルコントが描く“男の純情”には定評があるが、本作はそれが最大限に発揮されている。
主人公の“禁欲的”とも言える恋情を見事に表現するミシェル・プランと、純粋さとしたかさが同居したアリス役のサンドリーヌ・ボネール、共に素晴らしいパフォーマンスだ。ブラームスの室内楽曲を巧みにアレンジしたマイケル・ナイマンの音楽。パリの街を奥行きのある映像でとらえたドニ・ルノワールのカメラ。鑑賞後の満足度は、極めて高い。
仕立て屋の中年男イールはおとなしく几帳面だが、性犯罪の前科があり、折しも近所で発生した殺人事件の参考人として警察からマークされている。彼の目下の楽しみは、向かいの部屋に暮らす若い女アリスの姿を覗き見ることだ。イールは彼女に恋人がいることを知っているが、そんなことはお構いなしにアリスに一方的に恋していた。
ある日、アリスはイールが自分を覗いていることを知る。だが、あろうことか彼女の方からイールに接近してくる。実はアリスは自分の恋人エミールが殺人事件の犯人であることを、イールが察知しているのではないかと疑い、確かめようとしたのだ。イールはそんな彼女の思惑を見抜いた上で、それでもアリスに対する恋心を捨てない。ジョルジュ・シムノンのミステリー小説の映画化である。
若い娘の部屋を凝視する主人公は、有り体に言えば立派な“変態”である。ところが作者は、そんな下世話な感想を観客が持つことを許さない。自分の思いは決して報われることはない。しかし、そのペシミスティックな感慨が名状しがたい陶酔を呼び込む。これは立派な“純愛”なのだ。
やがて相手がただ覗き見るだけの対象ではなくなり、実際に言葉を交わすような存在になっても、悲恋になることは十分承知している。だが、心のどこかでこのまま彼女と上手くやっていけるのではないかという、はかない希望が顕在化し、現実とのギャップに身悶えする。このイールのピュアな心情は、終盤の暗転にもいささかも動じることはない。ルコントが描く“男の純情”には定評があるが、本作はそれが最大限に発揮されている。
主人公の“禁欲的”とも言える恋情を見事に表現するミシェル・プランと、純粋さとしたかさが同居したアリス役のサンドリーヌ・ボネール、共に素晴らしいパフォーマンスだ。ブラームスの室内楽曲を巧みにアレンジしたマイケル・ナイマンの音楽。パリの街を奥行きのある映像でとらえたドニ・ルノワールのカメラ。鑑賞後の満足度は、極めて高い。