91年作品。キングギドラといえば、私が幼少の頃に観た(たぶんリバイバル上映)「三大怪獣地球最大の決戦」(64年)で、隕石の中から吹き出た炎がキングギドラに変わるシーンの印象が強烈で、それ以来の思い入れがある怪獣であり、ゴジラより好きである。
で、72年の「ゴジラ対ガイガン」から19年ぶりになるこの映画がギドラ氏の“復帰作”となったのだが、この映画の一番の欠点は、ダサい特撮でも、大森一樹の凡庸な演出でも、カラッポな人物描写でもない。宇宙生まれだと信じていたギドラ氏が、グレムリンの出来損ないみたいな小動物の放射能障害の成れの果てだという設定である。以前の作品群との兼ね合いからも、それはルール違反である。
しかも、今回のギドラ氏はミョーに弱い。いくらゴジラがパワーアップしても、それを一蹴するギドラ氏であってほしいし、北海道の原野での戦いで、あっけなくダウンしてしまうのは困る。ゴジラを徹底的に痛めつけて、最後に何かの不可抗力で負ける、というふうに持って行くのがスジではないのか(笑)。
また、この映画の一番の見所は、怪獣デザインの優秀さでもなく、伊福部昭のカッコいい音楽でもない。ギドラ氏が福岡の街を叩き壊す場面に決まっている。まず福岡タワーをかすめ、IMSビルをこっぱみじんにして、西鉄福岡駅をふんづけて、九州銀行ビルと大同生命ビルをまっ二つにして那珂川に沈め、中洲の飲み屋街を全滅させる。ああ、まさに映画とはこれではないか(意味不明 ^^;)。
さて、この映画のストーリーは23世紀から来た未来人が時間軸を弄った挙げ句に、現代の日本に怪獣が大暴れするような状況を作り上げてしまうというもので、一応凝ってはいるが、策におぼれた感も強い。中川安奈や豊原功補、小高恵美、原田貴和子、佐々木勝彦といった重量感の欠けるキャストも“微妙”だ。
90年代からの東宝特撮映画は本作をはじめとして“迷走感”が強かったが、最近になってやっと「シン・ゴジラ」の登場によって持ち直し、またキャラクターを“貸し出した”ハリウッドにも新たな展開が見られるようになった。今後も無視出来ないジャンルではある。
で、72年の「ゴジラ対ガイガン」から19年ぶりになるこの映画がギドラ氏の“復帰作”となったのだが、この映画の一番の欠点は、ダサい特撮でも、大森一樹の凡庸な演出でも、カラッポな人物描写でもない。宇宙生まれだと信じていたギドラ氏が、グレムリンの出来損ないみたいな小動物の放射能障害の成れの果てだという設定である。以前の作品群との兼ね合いからも、それはルール違反である。
しかも、今回のギドラ氏はミョーに弱い。いくらゴジラがパワーアップしても、それを一蹴するギドラ氏であってほしいし、北海道の原野での戦いで、あっけなくダウンしてしまうのは困る。ゴジラを徹底的に痛めつけて、最後に何かの不可抗力で負ける、というふうに持って行くのがスジではないのか(笑)。
また、この映画の一番の見所は、怪獣デザインの優秀さでもなく、伊福部昭のカッコいい音楽でもない。ギドラ氏が福岡の街を叩き壊す場面に決まっている。まず福岡タワーをかすめ、IMSビルをこっぱみじんにして、西鉄福岡駅をふんづけて、九州銀行ビルと大同生命ビルをまっ二つにして那珂川に沈め、中洲の飲み屋街を全滅させる。ああ、まさに映画とはこれではないか(意味不明 ^^;)。
さて、この映画のストーリーは23世紀から来た未来人が時間軸を弄った挙げ句に、現代の日本に怪獣が大暴れするような状況を作り上げてしまうというもので、一応凝ってはいるが、策におぼれた感も強い。中川安奈や豊原功補、小高恵美、原田貴和子、佐々木勝彦といった重量感の欠けるキャストも“微妙”だ。
90年代からの東宝特撮映画は本作をはじめとして“迷走感”が強かったが、最近になってやっと「シン・ゴジラ」の登場によって持ち直し、またキャラクターを“貸し出した”ハリウッドにも新たな展開が見られるようになった。今後も無視出来ないジャンルではある。