(原題:FORUSHANDE)アスガー・ファルハディ監督としては秀作「別離」(2011年)に続くアカデミー外国語映画賞受賞作だが、あまり出来は良くない。もっとも前作の「ある過去の行方」(2013年)も大した内容ではなかったのだが、あれは舞台が地元のイランではなかったので勝手が違うという事情も考えられた。しかし本作は自国で撮っており、各モチーフも決して“浮き世離れ”はしていない。ヴォルテージの低さに関しては釈明出来ない立場に追い込まれたのではないだろうか。
教師のエマッドは妻のラナと共に小さな劇団に所属しており、次回の演目であるアーサー・ミラーの「セールスマンの死」の稽古に忙しい。ある日、住んでいるアパートが崩落寸前になり、2人は引っ越しを余儀なくされる。幸いにも劇団仲間から新しい住居を紹介され、急いで転居する。だが、その家は前の住民が置いたままの家財道具が少なからずあり、夫婦は困惑してしまう。ある晩、夫より早く帰宅したラナがシャワーを浴びていると、何者かが侵入し彼女を殴りつけてケガを負わせる。包帯だらけの妻を目の当たりにした夫はショックを受け、それ以来夫婦仲は冷え込んでゆく。やり場の無い怒りを抱えたエマッドは、独自に犯人を捜し出そうとする。
まず、ラナが“警察沙汰にしないで欲しい”と周囲に頼むのは納得できない。イランの警察は信用できないという事情があり、また暴行を受けた女性が訴えるのは体裁が悪いという社会的風潮があったとしても、被害者は犯人を目撃しているので解決は早いと思われる。またエマッドが犯人を捜し出すプロセスが回りくどく、それ以前に犯人が漫然と現場に証拠を残しているあたりには脱力した。
全体的にプロットの組み立てがヘタで、ミステリーとしての興趣は乏しい。ならばこの夫婦の内面の葛藤が丹念に描かれていたかというと、それも不十分だ。描き方が一本調子で、メリハリが無い。展開が必要以上に遅いことも相まって、観ていて退屈を覚えてしまう
一応犯人は終盤に確定されるのだが、それに至る段取りはモタモタしており、犯行の動機も含めて幕切れは非常に後味が悪い。そして一番の敗因は、主人公達が出演している舞台の内容がほとんどメインのストーリーに絡んで来ないことだ。それどころか、演劇の場面が不必要に挿入され、物語の流れが分断されてしまう。一体何のため2人を劇団員という設定にしたのか、まるで分からない。
主演のシャハブ・ホセイニとタラネ・アリシュスティは熱演だが、筋書きと演出が気勢が上がらない展開なので空回りしている印象がある。オスカーを獲得したのは、何か“裏の事情”があるのではないかと、いらぬことを考えてしまった(まあ、今回に限ったことではないが ^^;)。