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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「TAP THE LAST SHOW」

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 ラストの約20分間のショーの場面がすべてだ。もっとも、それに関しても万全の出来ではない。パフォーマーの妙技をじっくりと見せてくれればそれで良いはずなのだが、作者はステージの描写だけでは場が保たないと思い込んでいるらしく、肝心なところでブツ切りになって余計なシーンが挿入される。だが、そんなマイナス要素を差し引いてもこのシークエンスは素晴らしい。反面、それ以外のパートは全然ダメだ。作品のコンセプトをもっと煮詰める必要があったと思う。

 渡真二郎は昔は一世を風靡した天才タップダンサーだった。しかし19年前の舞台での事故で足が不自由になり、引退を余儀なくされてしまう。その後は演出や後進の指導に当たったが、何をやっても上手くいかない。今ではショービジネス界から遠ざかり、酒に溺れる日々だ。ある時、古くからの友人である劇場支配人の毛利が渡のもとにやってくる。劇場経営が行き詰まり、近々最後のショーを企画しているが、その演出を渡に依頼したいというのだ。しぶしぶ引き受ける渡だが、個性的な若いダンサーたちと接するうちに、かつての情熱が蘇ってくる。

 エキセントリックだが突出した才能を持つベテランが若手をシゴき倒すという設定は、デミアン・チャゼル監督の快作「セッション」(2014年)に通じるものがある。しかし、内容は足下にも及ばない。ただの古くさいメロドラマである。

 運河沿いの倉庫のセットに代表されるように、舞台装置は気恥ずかしいほどの懐古趣味に溢れている。渡に見出される若いダンサーたちのバックグラウンドは、どれもこれも救いようがないほど陳腐で退屈だ。しかもタップの技量だけでキャスティングしているおかげで、演技は全員学芸会並み。そもそも、渡と毛利との掛け合いからして気取りまくったオヤジのキザなセリフの応酬で、脱力するしかない。

 とにかく、くだらない“お涙頂戴”的なモチーフは不要だ。芸術の高みにまで昇華されたタップの神髄と、それに魅せられた者達の、狂気のドラマを見たいのだ。

 主演を務め、なおかつ今回が初監督になる水谷豊はこのネタを約40年温めてきたという。だが“構想○○年、製作○○年”といった触れ込みのシャシンが面白かった例しがない。念願の企画であるからこそ、謙虚に外野の話を聞き、テーマを練り上げることに腐心すべきであろう。毛利役の岸部一徳をはじめ六平直政、北乃きい、前田美波里といった俳優陣も精彩が無い。

 とはいえ、終盤に怒涛のステージングを披露する若い連中の力量には驚かされる。我が国においてタップダンスがどの程度普及しているのか知らないが、これだけのものを見せつけられると、日本のショービジネス界の未来も決して暗くはないと思わせる。映画の出来には目をつぶって、タップそのものを楽しもうという向きには良いかもしれない。

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