(原題:FREE FIRE )製作総指揮にマーティン・スコセッシが関与しているので期待していたが、実物は何とも気勢の上がらない出来であり、脱力するしかなかった。明らかに作者はアクション映画の撮り方を間違えている。虚構の筋立てに中途半端なリアリティを挿入することが、どれだけ作劇を阻害するのか分かっていないと見える。
1978年のボストン。銃の闇取引のため、場末の倉庫に二組のギャングがやってくる。注文した機種と実物が違っていたという不手際はあったものの、取引は無事に終わりそうな気配だった。ところが前日に身内のトラブルで殴り合いをした者達が双方に存在しており、その私怨が取引の場で爆発。一方が発砲したことから、居合わせた全員を巻き込んだ銃撃戦が始まる。
時代背景を70年代に設定したのは、ちょうどこの頃が“アクション映画といえば派手なドンパチが付き物”という定説が罷り通っていたからだろう。しかしながら、この映画はいただけない。冒頭“FBIの資料によると、実際に銃撃戦が起こっても人は簡単に死なないし、殺すことも出来ない”とかいう但し書きが表示される。確かにそれは正しいのかもしれないが、そのことを簡単に映画の中身に適用してもらっては困るのだ。
登場人物達は闇雲に拳銃を撃ちまくるが、大半の被弾は致命傷には至らない。全員傷つきながらも、地味に匍匐前進を続けるしかないのだ。斯様な展開を延々と繰り返せば、観ている側は飽きる。いくら“急所に当たらなければ、人は即死しない”とはいっても、映像面では従来通り“一発か二発当たれば、倒れてそれっきり”という仕掛けにしておいた方が、断然見栄えが良いのである(しかも、相手が数発で御陀仏になるのならば、撃ち方や身のこなしにスタイリッシュな演出が可能になる)。
そういうことを無視して、いたずらにリアリズム(みたいなもの)に拘泥していては、盛り上がりに欠けるのは仕方がない。そんなにリアリティに執着するのならば、作劇自体をドキュメンタリー・タッチにしてしまえば良かったのだろうが、そこまでの度胸は無かったようだ。
長々と続く銃撃戦の段取りは上等ではなく、誰が誰を狙っているのか判然としないばかりか、途中で挿入される爆発や火災が何のカタルシスも喚起しないという有様だ。加えて、出てくる連中がどれも頭が良さそうには見えず、まったく感情移入出来ない。
ベン・ウィートリーの演出は平板で、1時間半の上映時間がとても長く感じられる。ブリー・ラーソンやアーミー・ハマー、キリアン・マーフィ、シャルト・コプリー、ジャック・レイナー、マイケル・スマイリーといった出演陣もむさ苦しくてパッとせず、わずかに印象に残ったのが劇中で場違いに流れるジョン・デンヴァーの歌声だけだった。第41回トロント国際映画祭ミッドナイト・マッドネス部門で最高賞にあたる観客賞を受賞したらしいが、あいにく当方はそんなアワードのことは知ったことではない。