(英題:THE WAILING )わけの分からない映画である。もちろん“わけの分からぬ映画を作ってはいけない”ということはなく、その“わけの分からなさ”に作者のポリシーが一本通っていて映画的面白さに結実していれば文句はない。しかし本作は、各モチーフが文字通り“わけが分からないまま”放り投げられてしまった。これでは評価のしようがない。
韓国の山奥にある谷城(コクソン)という村で、それまで正常だった人間が突然錯乱し、家族を殺害するという事件が相次いで起こる。しかも、加害者は皆一様に口もきけなくなり、皮膚は原因不明の湿疹に覆われていた。事件の捜査に当たっていた村の警察官ジョングの前に、ミステリアスな若い女が現れる。また、山の中には素性の分からぬ日本人の男が住み着くようになり、村人達は事件との関係性を噂していた。
そんな中、ジョングは幼い娘の身体にあの湿疹ができていることを発見する。それから次第におかしな行動を取るようになった娘を心配した彼は、これは何かの“呪い”であると断定。祈祷師に頼んでお祓いをしてもらうが、事態は改善しない。意を決してくだんの日本人のもとに乗り込むヒジョン達だが、一連の事件で行方不明になっていた男がゾンビになって彼らに襲いかかる。
ナ・ホンジン監督は「チェイサー」(2008年)と「哀しき獣」(2010年)で、出口の見えない閉塞感と焦燥感を醸成して観る者を驚嘆せしめたが、その息苦しさは本作も共通している。だが、話がオカルト方面に振られ、加えて作者の手前勝手な思い込み(のようなもの)が跳梁跋扈するようになると、正直どうでもいい気分になってくる。
当初、事件の原因は毒キノコの幻覚作用と言われていたが、やがて悪魔憑きだのウォーキング・デッドだの、エクソシストだの結界だのと、さまざまなネタが五月雨式に投下され、それらは一つとして決着を見ることはない。まあ、話が“邪悪なもの”と“そうではないもの”との対立を追っているらしいことは分かるが、そう割り切っても辻褄の合わない箇所がいくつも散見され愉快になれない。
話によると、劇中に出てくるモチーフは全て聖書から取っているらしいが、そっち方面に造詣の無いこちらにとっては鼻白むばかりだ。少なくとも「セブン」や「リーピング」ぐらいの平易な展開にしていただきたい。
得体の知れない日本人に扮する國村隼はまさに怪演だが、どうして日本人でなければならないのか不明。かの国の反日感情も窺われて、観る者によっては不快な気分になるかもしれない。他のキャストに魅力はないし、上映時間は無駄に長く、見終わって徒労感だけが残る。