(英題:THE HUNT)日常生活に潜む恐怖の陥穽を描くという映画は過去にもけっこうあったが、たいていはコケおどしのレベルに終わっていたように思う。しかし、本作にはいかにもありそうなシチュエーションが丹念に構築されており、その分衝撃度は高い。
デンマークの地方都市に暮らすルーカスは、幼稚園で働く中年男性。以前は結婚していたが、今は離婚しており、一人息子ともあまり会えない。それでも職場では園児に囲まれ、オフの日には気の置けない仲間達とハンティングに出掛けたりして、彼なりに生活を楽しんでいる。しかしある日、親友のテオの幼い娘で幼稚園に通うクララが“ルーカスにいたずらされた”と小さな嘘をついたことをきっかけに、あっという間に彼は窮地に立たされる。
ルーカスは仕事を奪われ、周囲の人間の多くが冷たい態度を取り、ついには逮捕されてしまう。もちろん確かな証拠などあるはずもなく、やがて釈放されるのだが、村八分の状況はそれからも延々と続き、彼を苦しめる。
上手いと思ったのは、周防正行監督の「それでもボクはやってない」のように話を“裁判沙汰”に振っていないことだ。法廷でのやりとりに大きく作劇を割いてしまえばそれなりに盛り上がるのだろうが、逆に言えばそこに“裁判で無罪を勝ち取れば万々歳”という了解事項が介在していることを認めることになる。実際には裁判後の経緯こそが重要なのだ。いくら釈放されようと、周囲の疑惑を拭い去ることは並大抵のことではない。
考えてみれば、主人公には濡れ衣を着せられる“必然性”みたいなものがある。ルーカスは小学校での教職を追われた身であり、カミさんにも逃げられている。何より、いい年の男が嬉々として幼稚園児の相手をしている様子は、見ようによっては痛々しくも感じられる。もちろんそんな“言い掛かり”は当人にとって理不尽極まりないことなのだが、他人にとっては特定個人を指弾する理由には不条理もへったくれも無い。いじめやすい者を血祭りに上げるだけだ。
しかも、舞台になるのが都会ではなく、さりとて古い因習がはびこる(横溝正史の小説に出てきそうな)寒村でもない、一見すれば人情が厚いようにも思える“適度な田舎”(?)の街であるのも素材を際立たせる意味で効果的だ。悪意というのはところ構わず人々の心に入り込んでいくのである。
さらに、くだんの幼女の嘘の背景にあるものが、クララの兄が彼女にネットからダウンロードしたと思われるエロ写真を見せたことによるというのが実に考えさせられる。ネット環境により未成年者でもハードコア映像を入手することが不可能ではなくなり、そういう扇情的なコンテンツがネットワークを介して流通している事実は、それと付随してインモラルな感性も伝播していくということも示している。
主演のマッツ・ミケルセンのパフォーマンスは万全で、逆境に追い込まれた人間の足掻きをリアルに活写する。トマス・ヴィンターベアの演出は力強く、全編に渡って弛緩している部分はない。特にラストの処理は秀逸で、問題の根深さを如実に示している。重量感のある作品で、観て損は無い。