(原題:The Magdalene Sisters )2002年イギリス=アイルランド合作。まず驚くのが、ここに登場する“マグダレン修道院”のような前近代的な宗教施設が、つい最近(20世紀末)までアイルランドに存在していたという“事実”である。
当修道院は19世紀に誕生し、新約聖書に登場する娼婦の身から改心して聖女となったマグダラのマリアにあやかって、社会的に阻害された女性の保護収容と仕事の斡旋を名目として設立されたが、その内実は虐待と強制労働が日常茶飯事の、狂信的なカソリックの戒律が支配した非人道的な組織であったことを告発している。この映画はそんな施設に無理矢理に収容された3人の若い女のドラマだ。
1964年、ダブリンに住んでいたマーガレットとバーナデット、ローズの3人は、ふしだらな罪深い女と見なされてマグダレン修道院に収容される。そこは厳格なシスター・ブリジットに支配された、抑圧的な世界だった。3人は脱走すべく、あらゆる手立てを考え出す。
なるほど、理不尽な境遇にもめげず、健気に生きていく彼女たちの姿は感動的に見える。しかし、ちょっと待ってほしい。果たして、ここに描かれた“事実”は本当のことなのだろうか。この“事実”が摘発されたのは本作の製作年度から数年前。しかも、証拠と言えるのは当事者の“証言”だけなのだ。第一、こんな“事実”が百年近くも埋もれていたとは考えにくい。
まあ、それからの真相追求がどうなったのか分からないが、この映画からその“衝撃的な事実”を差し引いてみれば、よくある“女性の苦労話”でしかないのは辛いところだ。女性版「カッコーの巣の上で」だという批評も見受けられたが、物語の内容やキャラクター設定はあの映画に遠く及ばない。題材に依存するだけの作劇では限界があるのは当然だろう。
俳優でこれが監督デビューのピーター・ミュランの演出は手堅いがここ一番の盛り上げ方が弱い。唯一の見所はヒロイン役の新人女優ノーラ=ジェーン・ヌーン。大きな目が実に挑発的で、本作以降の仕事ぶりは知らないが、一度見たら忘れられないインパクトを観る者に与える。
当修道院は19世紀に誕生し、新約聖書に登場する娼婦の身から改心して聖女となったマグダラのマリアにあやかって、社会的に阻害された女性の保護収容と仕事の斡旋を名目として設立されたが、その内実は虐待と強制労働が日常茶飯事の、狂信的なカソリックの戒律が支配した非人道的な組織であったことを告発している。この映画はそんな施設に無理矢理に収容された3人の若い女のドラマだ。
1964年、ダブリンに住んでいたマーガレットとバーナデット、ローズの3人は、ふしだらな罪深い女と見なされてマグダレン修道院に収容される。そこは厳格なシスター・ブリジットに支配された、抑圧的な世界だった。3人は脱走すべく、あらゆる手立てを考え出す。
なるほど、理不尽な境遇にもめげず、健気に生きていく彼女たちの姿は感動的に見える。しかし、ちょっと待ってほしい。果たして、ここに描かれた“事実”は本当のことなのだろうか。この“事実”が摘発されたのは本作の製作年度から数年前。しかも、証拠と言えるのは当事者の“証言”だけなのだ。第一、こんな“事実”が百年近くも埋もれていたとは考えにくい。
まあ、それからの真相追求がどうなったのか分からないが、この映画からその“衝撃的な事実”を差し引いてみれば、よくある“女性の苦労話”でしかないのは辛いところだ。女性版「カッコーの巣の上で」だという批評も見受けられたが、物語の内容やキャラクター設定はあの映画に遠く及ばない。題材に依存するだけの作劇では限界があるのは当然だろう。
俳優でこれが監督デビューのピーター・ミュランの演出は手堅いがここ一番の盛り上げ方が弱い。唯一の見所はヒロイン役の新人女優ノーラ=ジェーン・ヌーン。大きな目が実に挑発的で、本作以降の仕事ぶりは知らないが、一度見たら忘れられないインパクトを観る者に与える。