主演女優がダメだ。しかも、その“ダメさ加減”が周囲に伝染してしまい、映画自体が空中分解している。題材とキャストの整合性と、それを上手くまとめるはずの監督の手腕が製作サイドでまったく留意されていない、失敗作の典型みたいなシャシンである。
主人公の古川園子は、終戦の翌年に脳梗塞で倒れた父親の前で会社員の雨宮と結婚した。元より親が勝手に決めた縁談で、園子には結婚相手に対する恋愛感情は無かった。それでも2人の間には長男が生まれ、しばらくは平穏な日々が続く。やがて雨宮は京都に転勤になり、園子と息子も東京を離れる。そこで出会ったのが夫の上司である越智だった。
越智は中年に達していたが独身で、大家の年増女と懇ろな関係にあった。そんな男に園子は生まれて初めての胸のときめきを覚えてしまう。そもそも彼女は結婚前から奔放な性格で男関係は派手だったが、実は本当の恋をしたことが無く、それ故に越智との情事にのめり込む。当然のことながら雨宮との仲は破綻し、家族はもちろん、実家との縁も切れることになるのだが、園子は意に介さない。その無軌道ぶりは、越智との関係が終わってからも続く。瀬戸内寂聴が昭和32年に発表した同名小説の映画化である。
園子に扮する村川絵梨のパフォーマンスは、話にならないほど低劣。セリフは棒読みで表情は硬く、身体の動きも鈍い。濡れ場こそ大々的にフィーチャーされているが全然エロくないし、もちろん背徳的な美学なんか望むべくもない。脇には林遣都や安藤政信、落合モトキ、毬谷友子、藤本泉、奥野瑛太などの悪くない面子が揃っているものの、全員が村川の大根芝居に合わせているようで全く覇気が無い。
このあたりを何とかしなければならなかった監督の安藤尋は、何とも煮え切らない仕事に終始。演出のテンポが悪く、しかも平板。文芸作品だから重々しいタッチに仕上げなければならないという思い込みでもあるのか、淀んだ空気が全編に漂っている。まさに、重厚さと重苦しさを取り違えているような体たらくだ。作品の主題も明確化されておらず、出来の良くない大時代なメロドラマを無理矢理見せられているような不快感だけが残った。
関係ないが、村川はNHKの朝の連続テレビドラマで知られるようになった女優ながら、その後の歩みは順調では無い。一説によると、あのドラマシリーズ出身の女優で明暗を分けているのは、それまでの演技経験の多寡であるという。なるほど、順調にキャリアを伸ばしている女優は朝ドラ以前にもそれなりの下積みがある者ばかりだ。対して村川はそれが不足していた。有名になった時点での基礎固めは、後々大きく影響が出てくるということだろう。近年はNHKもそれに気付いたのか、経験の浅い新人を主役に据えることは無くなったようである。