ストーリーが破綻していて評価は出来ないが、キャストの力演により辛うじて駄作になるのを免れたという感じである。やはり脚本・演出・演技という劇映画の3要素のうち、一つでも優れたところがあれば、何とか観ていられるものだ。
大学院の哲学科に通う白石珠は、修士論文の構想を練っているが上手くいかない。担当教授の篠原に相談すると、ひとりの対象を追いかけて生活や行動を記録する“哲学的尾行”なるものを奨められる。彼女はターゲットとして、向かいの家に住む編集者の石坂を選ぶことにする。妻と幼い娘と暮らす石坂は一見マジメだが、珠が後を付けると思わぬ“裏の顔”が浮かび上がる。彼は浮気をしており、しかも相手とは昼夜の区別なく頻繁に会っていたのだ。
最初は尾行という行為に戸惑いを感じていた珠も、この展開に興奮を禁じ得なくなるが、珠と一緒に住んでいるゲームデザイナーの卓也は、彼女の行動を訝しく思うようになる。一方、篠原はガンで余命幾ばくも無い母親を病院に見舞うが、彼も秘密を抱えていた。小池真理子の同名小説(私は未読)の映画化である。
哲学なんてものには縁のない生活を送っている私だが(笑)、それでも教え子にストーカー行為(犯罪)を推奨する頭のおかしい哲学科の教授が存在するとは思えない。さらに、唯々諾々とその無茶振りに従う大学院生というのも、まるで絵空事だ。石坂は珠の素人っぽい尾行にも気が付いていないのか、真っ昼間からビルの陰で不倫相手と一発ヤルという暴挙に出る(激爆)。
篠原の屈託は分かったようでよく分からず、彼の最終的な行動にも説得力は無い。珠の住むアパートの管理人は個人情報を部外者にペラペラしゃべり、家庭が崩壊したと思われた石坂は、いつの間にか持ち直してしまう。ゴミ捨て場に設置された監視カメラによる思わせぶりな映像も、何のドラマのモチーフになり得ていない。
だいたい、論文を書き上げること自体、ヒロインにとって(学業の成就以外)どういう価値があったのか、まるで分らないままだ。マトモなキャラクターは卓也ぐらいで、あとは全員常軌を逸しているという脱力するような有様である。これがデビュー作となる岸善幸の演出は、気負っているようで結局何かハズしたままで終わっている。
しかしながら、俳優たちの仕事ぶりは認めて良いと思う。珠に扮する門脇麦は(意外にも)これが初の単独主演になるが、さすが邦画界屈指の若手実力派だけあって目覚ましい求心力を発揮している。石坂役の長谷川博己や篠原を演じるリリー・フランキー、卓也に扮する菅田将暉など、演技が下手な役者が一人も出ていないのは、実に気持ちがいい。夏海光造のカメラによる清涼な映像や、岩代太郎の音楽も要チェックだ。
それにしても、劇中で石坂が作家に偉そうにアドバイスするシーンは失笑すると共に少し納得もした。あれは原作者の体験を元にしていることは、想像に難くない。