面白くなりそうなネタは扱っているが、如何せん作り手の技量が限りなく低レベルで、つまらない出来に終わっている。今の日本映画界には、いくら原作が漫画とはいえ話が荒唐無稽だからいい加減に作っても良いと勘違いしている手合いが存在することを、改めて痛感する。
会社をリストラされ、コンビニのバイトで糊口を凌いている中津は、ある日卓越した身体能力を持つニートで下着泥棒の土志田と出会う。日頃から街の治安の悪化を苦々しく思っていた中津は、土志田と組んで自警団を作ることを提案。そこに情報収集力抜群の女子高生・カオリと、昼は定年間近のサラリーマンで夜は不良を痛めつける“若者殴り魔”の日下が加わり、街の悪党どもに天誅を下すようになる。
やがて、彼らの行動を見ていたホームレスの宇野が会社組織にすることを提案。低料金で警備を請け負う“ともしび総合警備保障”を設立して業績を伸ばすが、大きくなった会社は次第に利益を最優先するようになり、中津たちの居場所が失われていく。一方、街では通り魔事件が頻発。どうやら、この背後に宇野が暗躍しているらしい。福満しげゆきの代表作「生活【完全版】」(私は未読)の映画化だ。
素人がヒーローを気取って悪を懲らしめていくうちにシャレにならない修羅場に突入するという設定は、マシュー・ヴォーン監督の「キック・アス」(2010年)でも扱われていたが、本作ではその行為が“法人化”されるのが目新しい。ここを突き詰めて描けばそれなりの実績をあげたはずだが、脚本と演出がド下手であるため完全に不発である。
とにかく舞台になる架空の街・堂堂町の造形が目も当てられないほど安っぽく、そこに集まる連中も呆れるほどチャラい。こんなスカスカの空間で主人公たちがいくら奮闘しても、リアリティのカケラも創出できないのだ。筋書きが絵空事だからこそ、仕掛けは合理的でなければならないのだが、作者はそのあたりが全然分かっていないと見える。
そもそも“ともしび総合警備保障”が宇野によって牛耳られていく過程は作劇の核になるべき部分なのだが、完全スルーである。さらに終盤明かされる通り魔の正体に至っては、救いがなさ過ぎるのではないか。これではカタルシスは醸成されない。
豊島圭介の演出は酒でも入っていたかと思われるほどグタグダでキレもコクもなく、テレビの三流コント番組並だ。中津に扮する東出昌大は相変わらず演技がぎこちない。さすが“朝ドラ大根三銃士”の一人だ(ちなみにあとの2人は山崎賢人と福士蒼汰である ^^;)。土志田を演じる窪田正孝とカオリ役の小松菜奈、日下に扮する片岡鶴太郎はまあ頑張っていて、宇野役の船越英一郎も変態ぶりを見せつけていたが、それだけでは映画の出来を挽回するには及ばない。観る必要の無いシャシンである。