(原題:SICARIO )始まってから30分ぐらいの、アメリカとメキシコの国境線で繰り広げられる銃撃戦までは面白い。黒塗りの専用車を連ねて市中を疾走する主人公達と、それを不気味に追う現地警察。やがて国境のハイウェイで渋滞に捉まるが、いつの間にかギャングの一味に囲まれていた。襲撃を開始する悪者どもに対して、こちらも情け無用の銃弾の雨をお見舞いする。衆人環視の元で高速道路が血に染まり、まさに日常生活の隣に生々しい暴力が控えているという、彼の地の切迫した状況を容赦なく描き出している。しかしながら、映画のテンションはこのシークエンスを境に落ちる一方。終わってみれば凡作に過ぎず、徒労感ばかりが大きい。
アリゾナ州チャンドラーで誘拐事件の容疑者宅への奇襲捜査を指揮した参加したFBI捜査官のケイト・メイサーは、その功績から上司の推薦により国防総省のマット・グレイヴァー率いるチームに加わることになる。その目的は、誘拐事件の主犯とされるメキシコ麻薬カルテルの親玉マニュエル・ディアスを追い詰めることだ。国境の町エル・パソに移動したケイト達は、マットのパートナーで正体不明のコロンビア人、アレハンドロと合流。メキシコ側のシウダー・フアレス市に入り、作戦の実行に当たる。
メキシコのマフィアの狼藉ぶりと社会全体の歪みは、すでに多くの作品に取り上げられている。小説ならばドン・ウィンズロウの「犬の力」という秀作があり、映画でもエドワード・ジェイムズ・オルモス監督の「アメリカン・ミー」(92年)やスティーヴン・ソダーバーグ監督の「トラフィック」(2000年)といった注目作がある。そして同じくシウダー・フアレスを舞台にしたシャウル・シュワルツ監督の「皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇」(2013年)は、迫力満点のドキュメンタリーだった。しかしながら、この「ボーダーライン」がそれらの作品に比肩するとは全然思わない。
結局ヒロインのケイトはただの狂言回しであり、自分から何かアクションを起こすような存在ではないのだ。ならば他のキャラクターはどうかといえば、マットは傍観者に過ぎず、ケイトのチームメイト達も“その他大勢”でしかない。
ならば残るのはアレハンドロだが、登場人物の中では唯一バックグラウンドに言及されており、作者の彼への思い入れの強さが感じられる。だが、後半で明かされる彼の“正体”が興味深いものなのかといえば、そうではない。彼の言い分は十分に衝撃的ではあるものの、極端にインモラルな状況であるこの地域においては、別に驚くようなことではないのだ。
監督のドゥニ・ヴィルヌーヴはこのアレハンドロの造形に、例によって粘り付くようなタッチで臨む。ところがキャラクター自体が観る側にとって掘り下げるに値しないものであるため、ドラマが停滞する結果にしかならない。中盤以降のテンポの悪さは、ここに起因している。
ケイト役のエミリー・ブラントとマットに扮するジョシュ・ブローリンは、今作では可もなく不可も無し。アレハンドロを演じるベニチオ・デル・トロだけが得意気だが、役柄自体が斯くの如しであるため、あまり盛り上がらず。ヨハン・ヨハンソンの音楽とロジャー・ディーキンスのカメラだけは優秀だが、あまり広くは奨めたくないシャシンである。