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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「女が眠る時」

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 くだらない。存在価値無し。この作品を企画した人間、カネを集めたプロデューサー、全国拡大公開に踏み切った興行主、みんなまとめてゴミ箱に放り込んでやりたい。

 一週間の休暇を取って、妻とともに伊豆のリゾートホテルに宿泊している作家の健二は、以前は文壇から注目されていたが、今ではスランプに陥っていた。編集者の妻とは倦怠期で生活に張り合いが無く、物書きの道をあきらめてサラリーマンとして就職することも考えている。ある時、彼はプールサイドで異様なカップルを見かける。初老の男と若い女の二人連れだが、親子ではない。何やら訳ありの彼らに興味を覚えた健二は、ホテル内で二人を見かけるたびに後をつけ、部屋をのぞき見るようになっていく。やがて彼は、現実とも妄想ともつかない世界に足を踏み入れてゆく。

 スペインの有名作家であるハビエル・マリアスの短編(私は未読)の映画化だが、たぶん舞台がヨーロッパのリゾート地であったならば、それなりの雰囲気を醸し出していたのだろう。ところが本作に映し出されるのは、スタイリッシュなテイストには縁の無い下世話な観光地で、泊まっているホテルも高級感は希薄だ。こんなお膳立てで、(作者が狙ったであろう)洗練されたミステリアスさが現出できるわけがない。

 監督は「スモーク」などで知られる香港出身のウェイン・ワン監督だが、どうしてこの演出家がこの題材をこの舞台で撮ろうと思ったのか、全然理解できない。とにかく、セリフの内容と会話のリズムが不自然に過ぎる。おそらくは原作では含蓄のある物言いであったはずが、何も考えずに直訳したようなセリフの応酬で、観ていて面倒くさくなってくる。

 もちろん、エロティックさは皆無で、惹き付けられるようなエピソードも見当たらない。カメラワークも凡庸の極みで、美しい画面を作り上げようという意図すら感じられない。

 有り体に言ってしまえば、くだんのカップルに映画的興趣を盛り上げるようなバックグラウンドがあるわけでもなく、結果的に健二が触発される“何か”が提示されることもない。漫然と内容空疎な筋書き(らしきもの)がノロノロと展開し、漫然と登場人物は所在なく動き回り、漫然とした思わせぶりなエピソードが並べられ、漫然とした結末が、これまた漫然と据えられているという、話にならないシロモノなのだ。

 初老の男に扮するビートたけしをはじめ、健二役の西島秀俊、忽那汐里、リリー・フランキー、新井浩文とキャストの顔ぶれは悪くないが、演技らしい演技もさせてもらえず、さぞかしストレスの溜まる現場であったことが想像できる。加えて健二の妻を演じる小山田サユリが貧相なプロポーションを惜しげもなく(苦笑)晒してくれるので、観る側は盛り下がるばかりだ。

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