(原題:O ESTRANHO CASO DE ANGELICA )退屈な映画だ。ほめている評論家は多く、2015年のキネマ旬報ベスト・テン洋画部門の第3位にランクインしているが、正直言ってどこが良いのか分からない。筋書きも各キャストの演技も全然ピンと来ず、上映中は眠気との戦いに終始してしまった。とっとと忘れたいシャシンである。
ポルトガルのドウロ河流域にある小さな町。真夜中に町に一軒しかない写真館に、当地に住む富豪の執事がやって来る。急ぎの写真撮影を依頼したいそうだが、あいにく店主は不在。その様子を見ていた通りがかりの男が、最近町にやって来た青年が写真を趣味にしていることを執事に告げる。執事は早速その若者イザクの下宿を訪れて、彼に撮影を頼む。その仕事というのは、富豪の急逝した娘アンジェリカの写真を葬儀前にキレイに撮ることだった。
屋敷でイザクがピントを合わせた瞬間、何とファインダー越しのアンジェリカは目を開き、彼に笑いかける。驚きながらも撮影を終えたイザクが写真を現像すると、今度は写真の中の彼女も微笑んでいるではないか。それ以来、彼はアンジェリカのことが頭から離れない。さらにはアンジェリカの亡霊らしきものがイザクの前に現れるようになる。
何だか「雨月物語」のような怪異譚だが、全然怖くないし、話自体に深みがあるとも思えない。アンジェリカは何を考えてイザクにモーションをかけたのかまるで不明だし、イザクの方もそんな怪しげな話にどうして乗ったのか分からない。イザクが住む下宿には彼のほかにもインテリ層と思しき住人が何人かいるのだが、彼らが話す空疎なインテリ話がワザとらしく延々と続く。それを聞くイザクは何のリアクションもなく佇むばかり。
教会の前にたむろする乞食とか、昔ながらの方法でブドウを育てる農民達とか、下宿の女主人が飼っている小鳥とかいった思わせぶりなモチーフが並べられるが、それらは何のメタファーにもなっていない。映像も全然大したことがなく、意味の無い長回しが連続すると思えば、アンジェリカの霊が現れるシーンのチープさには失笑するしかない。
そもそもこの映画の時代背景はどうなっているのだろうか。主人公の出で立ちや使うカメラがデジカメではないことから判断すると数十年昔だという気もしたが、走っている自動車は現代のものだ。このあたりも非常に居心地が悪い。
監督はポルトガルの巨匠と呼ばれて2015年に106歳で世を去ったマノエル・デ・オリベイラだが、私は彼の作品に接するのはこれが初めてだ(本作は彼が101歳の時に撮られている)。過去にどういう作品を手がけてそれらがどういう出来映えなのかは分からないが、この映画を観る限り才気走ったところは全く見当たらない。見所を強いて挙げれば、マリア・ジョアン・ピリスが弾くショパンのピアノ曲と、世界遺産に認定されているドウロ渓谷の景観ぐらいだ。