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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「みんなの学校」

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 ドキュメンタリー映画としては力作であり、扱われているテーマも重要性が高いとは思うが、いまひとつ求心力に欠ける出来だ。アプローチの仕方および題材に対する視点が、本来映画として盛り上がるべきポイントを微妙に外しているように感じる。その背景には“(世間的には)文句を付けてはいけないタイプの映画なのだ”という認識が横たわっていることも考えられ、何とも釈然としない気分になる。

 大阪市住吉区にある大阪市立大空小学校は、独自の取り組みを実施して注目されている学校だ。ここには発達障害児をはじめ特別支援の対象となる児童を多く抱え、しかも一般児童と同じ教室で学ばせている。そんな中で“不登校ゼロ”というスローガンを掲げ、教師陣は精一杯取り組んでいるという。関西テレビが製作し、文化庁芸術祭大賞など数々の賞を獲得したテレビドキュメンタリーを劇場版として再編集した作品で、監督は同局のディレクターである真鍋俊永。



 確かに“不登校ゼロ”を目指す学校当局の努力には頭が下がるものがある。そのためには。教職員、保護者、地域の大人たちだけでなく、子供同士も一緒になって(タイトル通りの)“みんながつくる、みんなの学校”を作り上げていかなければならない。しかしスクリーン上で積極的に動き回るのは、担任教師や保護者ではなく、なぜか校長先生(女性)なのだ。

 なるほど映画を観ている限り、彼女の働きは目覚ましいものがある。そして、問題児一人一人も校長を慕っているようで、いかにここでは彼女の存在が大きいかが強調される。だがちょっと待ってほしい。校長はあくまで管理職で、学校という事業所の統括責任者なのだ。いくらヤンチャな児童が転入して騒ぎを起こそうとも、話が一足飛びに校長に行くはずがない。まず対応すべきは担任教師である。

 けれどもここでは、それがほとんど描かれていない。まるで校長が一括して問題児の相手をしているような印象を受ける。これでは、観る者には“いつか校長がいなくなれば、この学校の努力も水泡に帰すのではないか”という危惧を抱かせてしまう。



 本当は現場教師や、問題児と同じクラスで学ぶ一般生徒にも相当な屈託や戸惑いがあるはずだ。そちらの方を地道に描いた方が成果が大きかったとは思うが、たまたま校長先生という“キャラの立った”人物を見出したおかげで、カメラはそっちばかりを追ってしまった。この学校の“売り物”であるはずの地域社会との関わりについてもあまり言及されておらず、保護者の登場シーンも少ない。

 元のテレビ版にはもっといろいろなことが紹介されていたのかもしれないが、単なる“校長先生奮闘記”になってしまった映画版では、せっかくのテーマが色褪せてしまう。それにしても、児童を教師が男子も女子も“さん”付けで呼ぶのには違和感を持った。今の学校の現場ではそれが普通なのかもしれないが、私のような古い人間にはどうも相容れない。

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