気持ち良く鑑賞出来た。地方発信の映画ながら余計な気負いが無く、よくある話を丁寧に追っていることに好感を覚える。これ見よがしの“仕掛け”に走るよりも、地道に題材を扱った方が“ご当地映画”としては成功する場合があるのだ。
かつてミュージシャンを夢見て故郷を飛び出した佳幸だが、結局大した実績も残せないまま10年間を過ごすことになる。ある日、絶縁状態だった父からある報せが届く。久しぶりに故郷に戻った佳幸は、そこで以前と変わらず陽気な母や高校生になった妹と再会するが、小さな工場を経営している父はかつての厳格さは影を潜め、どこか弱気になったように見える。
そして小学校の音楽教師になった同級生・唯香やかつての悪友達とも会うが、彼らはそれぞれ地に足が付いた生活を手に入れており、いまだ風采の上がらない自身の立場と比べれば屈託が積み上がるばかりだ。そんな時、以前デモ音源を送った東京の事務所から、佳幸の楽曲をテレビ番組の主題歌として使いたいというオファーが届く。
当然のことながら、東京イコール世知辛い場所で地方イコール人情味に溢れた住みやすい場所といったステレオタイプの構図は提示されていない。ただ、一度は地元を“捨てた”主人公が都会で悪戦苦闘している間にも、地方には地方なりの時間が流れているという、厳然たる事実を映し出している。
いくら家族や幼馴染み、生まれ育った土地などから遠く離れて目の前の課題をクリアすべく奮闘していようと、人はホームグラウンドから逸脱することは出来ない。故郷に帰れば、自らの立ち位置を再確認することも可能だ。つまりは、地方(生い立ち)と都会(現在の生活)というような二段構えのスタンスを持つことの大切さ(一方がダメでも、もう一方がある)を、訴えた作品だと思う。
淡々とした映画のカラーには佐々部清の演出はマッチしていて、外連味の無い地道な仕事を披露している。主演の桐山漣は初めて見る男優だが、ナイーヴな良い演技をしている。唯香に扮した杉野希妃は珍しく“女優に専念した”仕事をこなしているが、好感の持てるパフォーマンスだ。升毅や宮崎美子、安田聖愛、伊嵜充則、井上順といった脇の面子も良い。
そして何より、舞台になった群馬県太田市の風情が捨てがたい。特にこの地に“ねぷた”が存在することを初めて知った(江戸時代には津軽藩の飛び地だったらしい)。また、主人公がミュージシャンであることもあり、音楽の使い方も悪くない。劇中曲の「電車の窓から」は良いナンバーだ。
かつてミュージシャンを夢見て故郷を飛び出した佳幸だが、結局大した実績も残せないまま10年間を過ごすことになる。ある日、絶縁状態だった父からある報せが届く。久しぶりに故郷に戻った佳幸は、そこで以前と変わらず陽気な母や高校生になった妹と再会するが、小さな工場を経営している父はかつての厳格さは影を潜め、どこか弱気になったように見える。
そして小学校の音楽教師になった同級生・唯香やかつての悪友達とも会うが、彼らはそれぞれ地に足が付いた生活を手に入れており、いまだ風采の上がらない自身の立場と比べれば屈託が積み上がるばかりだ。そんな時、以前デモ音源を送った東京の事務所から、佳幸の楽曲をテレビ番組の主題歌として使いたいというオファーが届く。
当然のことながら、東京イコール世知辛い場所で地方イコール人情味に溢れた住みやすい場所といったステレオタイプの構図は提示されていない。ただ、一度は地元を“捨てた”主人公が都会で悪戦苦闘している間にも、地方には地方なりの時間が流れているという、厳然たる事実を映し出している。
いくら家族や幼馴染み、生まれ育った土地などから遠く離れて目の前の課題をクリアすべく奮闘していようと、人はホームグラウンドから逸脱することは出来ない。故郷に帰れば、自らの立ち位置を再確認することも可能だ。つまりは、地方(生い立ち)と都会(現在の生活)というような二段構えのスタンスを持つことの大切さ(一方がダメでも、もう一方がある)を、訴えた作品だと思う。
淡々とした映画のカラーには佐々部清の演出はマッチしていて、外連味の無い地道な仕事を披露している。主演の桐山漣は初めて見る男優だが、ナイーヴな良い演技をしている。唯香に扮した杉野希妃は珍しく“女優に専念した”仕事をこなしているが、好感の持てるパフォーマンスだ。升毅や宮崎美子、安田聖愛、伊嵜充則、井上順といった脇の面子も良い。
そして何より、舞台になった群馬県太田市の風情が捨てがたい。特にこの地に“ねぷた”が存在することを初めて知った(江戸時代には津軽藩の飛び地だったらしい)。また、主人公がミュージシャンであることもあり、音楽の使い方も悪くない。劇中曲の「電車の窓から」は良いナンバーだ。