決して上等な映画ではないのだが、とても重要なテーマを扱っているおかげで、最後まで飽きずに画面に対峙することが出来た。また、本作の内容と似たようなことがいつ起きるか分からない時勢であることが、より一層この映画の存在感を大きくしている。
頭から新聞紙を被った謎の男が、集団食中毒を起こしながら知らぬ存ぜぬで開き直る食品加工会社に対して制裁を加えると通告する動画がネット上に投稿される。そして間もなく食品加工会社の工場が放火によって炎上する。警視庁サイバー犯罪対策課のキャリア捜査官・吉野絵里香は捜査を始めるが、それを嘲笑うかのごとく第二・第三の事件が発生。やり口をまねする者も出現し、ついには政治家の殺害を予告する動画までアップされる。筒井哲也による同名コミックの映画化だ。
この愉快犯は当初は悪質な食品メーカーをターゲットにしているが、その後はネット上でバカをやらかした“小物”を何人か血祭りに上げ、次は政治家という具合に行動に一貫性が無い。終盤にこのテロの本当の目的が語られるのだが、もう少し頭の良さそうな手口を考えても良かったのではないか。対する警察側も、班長の吉野のプロフィールこそ後半で簡単に紹介されるが、その他の連中のキャラクター設定は完全スルーであり“ただいるだけ”の状態だ。
しかしながら、犯人グループが置かれた立場と、一方的にそれを糾弾するだけの吉野のスタンスとの間に屹立している“壁”の存在は、現代社会の鮮やかな縮図であると言える。吉野も犯人グループのリーダーである奥田宏明も、恵まれない幼少時を送っていた。だが、吉野は自力で這い上がり、今ではこの若さで警察内ではエリートコースを歩んでいる。
一方、奥田も何とか頑張ってマトモな社会人になろうと努力するのだが、無理がたたって身体を壊し、一時的に社会からドロップアウトしてしまう。やっとの思いで復帰して職にありつくが、そこは酷いブラック企業で彼は爪弾きにされる。奥田の仲間の境遇も似たようなもので、つまりこの犯罪はずっと世の中から落ちこぼれてきた者たちの“反乱”という側面を持っている。
そして、作者が肩入れするのは犯人グループの方だ。吉野は自分が逆境から抜け出してカタギの生活を手にしたことで、誰でもそうなることが可能だと思っている。さらに、それが出来ないのは当人の努力が足りないか、あるいは悪いのは何でも社会のせいにしてしまう甘ったれだと決めつけている。
しかし、それは違うのだ。世の中には、努力の仕方も分からない者もいる。また奥田のように、頑張りが裏目に出てさらなる逆境に追いやられる者だっている。吉野だって、今の自分があるのは努力だけではなく運や周りの者のフォローがあったからだろう。彼女のように、自分の成功は全て自己の努力の賜物であり、負け組に甘んじている連中は自己責任であると勝手に断定している者が何と多いことか。この、他者の事情を考慮しようともしない“思い上がりの風潮”こそが世の中を閉塞させ成長を阻害する元凶なのだと指摘する、本作の志は決して低いものではない。
中村義洋の演出は決してスムーズではないが、題材に引っ張られて破綻の無い仕事ぶりだ。奥田役の生田斗真はカッコつけているところが気になるものの、鈴木亮平や濱田岳、荒川良々といった脇の面子に助けられて何とか持ちこたえた。吉野に扮した戸田恵梨香も、ハード一辺倒ではない面を見せる終盤で表現力の幅を示す。またブラックな経営者に扮する滝藤賢一や腹黒い政治家を演じる小日向文世など、悪役もけっこうキャラが立っていて楽しめる。