(原題:Amy )97年オーストラリア映画。全く期待していなかったんでそこそこ観られたけど、特筆するような出来でもないと思う。ただ、昨年(2014年)に観た「メイジーの瞳」と似た設定でありながら、あの映画のようなドラスティックな割り切り方をしていないあたりが一種の救いかもしれない。
8歳のエイミーは4歳の頃に、人気ロックスターだった父親のウィルがステージ上で感電死するのを目撃したのを切っ掛けに、口がきけない状態が続いていた。母のタニア(レイチェル・グリフィス)は何かと干渉してくる福祉局の役人から逃れるために、エイミーを連れてメルボルンの下町に引っ越す。
近所に住む売れないミュージシャンのロバート(ベン・メンデルソン)は、自分の歌声にエイミーが反応していることに気付く。エイミーが治るかもしれないという希望を持ったタニアはいろいろな専門家に相談するが、ある日エイミーは福祉局の役人に見つかり、施設に送り込まれてしまう。
だいたいこの母親は頭が悪すぎる。テメエがしっかり育てないから、ヘンな福祉事務所の連中なんかに突っ込まれるのである。それに、子供の目の前(至近距離)でタバコをスパスパ、あげくにポイ捨てするのには怒り心頭。客観的視点から見れば、こういう身持ちの悪い女が親権を獲得できるかどうかは、実に疑わしい。
また、エイミーの父親のロックミュージシャンのコンサート場面が必要以上に長いのにも閉口した。まあ、演じているのが地元の有名歌手であるニック・バーカーなので、ここはファンサービスのつもりかもしれない。しかしながら、馴染みのないミュージシャンの平板なパフォーマンスを延々と見せられるのは辛い。それにしても、ステージ上での感電事故というのはこの映画が作られた90年代で起こることは、すでに稀だったのではないだろうか(ギターとアンプとの間はワイヤレスで繋ぐケースが大半だと思われる)。
だが、ナディア・タスの丁寧な演出と子役のアラーナ・ディ・ローマの頑張りによって、それほど悪い気分にならずに劇場を後にすることは出来る。何より、音楽を通じて心を開いていくという筋書きは気持ちが良い。なお、音楽を担当しているフィリップ・ジャドはスプリット・エンズのメンバーらしい。80年代に一世を風靡したニュージーランドのバンドだが、日本ではさほどウケなかった。近年再結成されたという話もあるが、あの頃のサウンドには今でも根強いファンがいるのだろう。
8歳のエイミーは4歳の頃に、人気ロックスターだった父親のウィルがステージ上で感電死するのを目撃したのを切っ掛けに、口がきけない状態が続いていた。母のタニア(レイチェル・グリフィス)は何かと干渉してくる福祉局の役人から逃れるために、エイミーを連れてメルボルンの下町に引っ越す。
近所に住む売れないミュージシャンのロバート(ベン・メンデルソン)は、自分の歌声にエイミーが反応していることに気付く。エイミーが治るかもしれないという希望を持ったタニアはいろいろな専門家に相談するが、ある日エイミーは福祉局の役人に見つかり、施設に送り込まれてしまう。
だいたいこの母親は頭が悪すぎる。テメエがしっかり育てないから、ヘンな福祉事務所の連中なんかに突っ込まれるのである。それに、子供の目の前(至近距離)でタバコをスパスパ、あげくにポイ捨てするのには怒り心頭。客観的視点から見れば、こういう身持ちの悪い女が親権を獲得できるかどうかは、実に疑わしい。
また、エイミーの父親のロックミュージシャンのコンサート場面が必要以上に長いのにも閉口した。まあ、演じているのが地元の有名歌手であるニック・バーカーなので、ここはファンサービスのつもりかもしれない。しかしながら、馴染みのないミュージシャンの平板なパフォーマンスを延々と見せられるのは辛い。それにしても、ステージ上での感電事故というのはこの映画が作られた90年代で起こることは、すでに稀だったのではないだろうか(ギターとアンプとの間はワイヤレスで繋ぐケースが大半だと思われる)。
だが、ナディア・タスの丁寧な演出と子役のアラーナ・ディ・ローマの頑張りによって、それほど悪い気分にならずに劇場を後にすることは出来る。何より、音楽を通じて心を開いていくという筋書きは気持ちが良い。なお、音楽を担当しているフィリップ・ジャドはスプリット・エンズのメンバーらしい。80年代に一世を風靡したニュージーランドのバンドだが、日本ではさほどウケなかった。近年再結成されたという話もあるが、あの頃のサウンドには今でも根強いファンがいるのだろう。