(原題:The Deep End of the Ocean )99年作品。アメリカで頻発する幼児失踪事件の深刻さと、親をはじめとする関係者の苦悩を描き、けっこう見応えのある映画である。ジャクリーン・ミチャードの小説「青く深く沈んで」の映画化で、「トゥルー・クライム」のスティーヴン・シフが脚色を担当。監督は「恋におちて」(84年)などのウール・グロスバードだが、彼のフィルモグラフィの中では上出来の部類である。
88年、ウィスコシンシン州の地方都市に住むフォトグラファーのベスはレストランの支配人の夫パットに見送られ、3人の幼い子供を連れて高校の同窓会に出席した。ところが、少し目を離したすきに3歳の息子ベンが姿を消し、地元警察の捜査もむなしく、発見されずに終わる。9年後にシカゴに引っ越した一家は、ある日自宅前の芝刈りのバイトを募集したところ、12歳の少年が派遣される。ところが彼はベンの面影を強く残していた。
調べてみると、子供を失ったばかりのベスの同窓生セシルがベンを連れ去っていたことが分かった。その後セシルはベンと結婚相手を残して世を去っていたが、夫は事情を知らずに我が子として育てていた。ベンはベスの家庭で暮らし始めるが、彼にとっては居心地はよくない。特に長兄のヴィンセントはベンの失踪を自分のせいだと思い込み、悩みを抱えたままこれまで生きてきた。やがてそんな一家に事件が起きる。
グロスバードの演出は丁寧で、各キャラクターの内面を巧みにすくい上げる。行方不明になった子供が偶然わが家にアルバイトとしてやって来るというモチーフこそ御都合主義的だが、生みの親と育ての親との間で逡巡するベンの心境や、自暴自棄になって無茶をやらかすヴィンセントの屈託などはよく描けており、飽きさせない。
どこをどう転んでも“誰もがハッピーになれる結末”を提示することは難しい題材だが、その中においてもストーリーの構築は健闘していると言っていい。ベス役のミシェル・ファイファーはさすがの演技。パットに扮するトリート・ウィリアムズや、警察担当者のウーピー・ゴールドバーグも良い仕事ぶりだ。子役が皆達者なのも嬉しい。
米司法省の統計によると、行方不明者として報告される国内の18歳未満の児童は年間80万人にも上るという。暗澹たる気分になるが、本作で描かれているように、幼児失踪等に対するボランティアの結束力というのはかなりのものらしく、地道な努力が継続していることは一種の救いになっている。