(原題:DEUX JOURS, UNE NUIT)厳しくも見応えのある映画だ。ヒロインの行動に“まったく問題は無い”とは言えないが、絶望的な状況に追い込まれた者が形振り構わぬ“反撃”に打って出ることにより初めて自分自身と他者に正面から向き合い、新たな関係性を見出していく過程を力強いタッチで描き、全編目が離せない。また現代社会が内包する問題を鋭く指摘しているあたりも見逃せない点だ。
ベルギーの地方都市に住むサンドラはメンタル障害を患い、長らく休職していた。やっと体調も回復して職場復帰しようとした矢先の金曜日、いきなり会社から解雇を言い渡される。これまで17人の従業員を抱えていたが、サンドラがいない間に16人でも仕事が回っていけることが分かった社長には、再び“余剰人員”を背負い込む気はない。
それでもサンドラと親しい同僚の申し立てにより、週明けの月曜日にサンドラを除く16人が投票をして、全員が次のボーナスをあきらめて彼女を復帰させるか、サンドラの解雇に同意してボーナスを全員がもらうかを決めることになった。飲食店に勤める夫の稼ぎだけでは、家賃の支払いと幼い2人の子供の養育費もままならない。何とかリストラを回避させたい彼女は従業員一人一人を訪ね歩き、説得を試みようとする。こうしてサンドラのハードでヘヴィな週末が始まった。
主人公の言い分が“身勝手なお願い”であることは、本人も他の従業員も承知している。だが、彼女の依頼は皆からけんもほろろに断られて当然・・・・とはならない。どんなに彼女が長期間仕事から離れていても、たとえ普段は親しく接していなかったとしても、周囲の者はちゃんと主人公を見ているのだ。もちろん彼女の言い分を頑として受け付けない者もいる。しかし、一対一で話をすることによって相手がサンドラに対して抱いていた感情が判明し、支持を得られるケースもある。またサンドラの訪問によって家族との関係性を見直す者もいる。
病み上がりで万全な状態ではなく、精神安定剤を飲んでベッドに潜り込もうとする彼女に、夫は叱咤激励する。それが一方的な“命令”ではなく、いわば“共闘”の申し出である点が嬉しい。
また、各従業員はサンドラの状況が“明日のわが身”であることを認識していることも大きい。17人でやっていた仕事が16人でやれるのならば、経営者は余った人員に新たな仕事を振るのが筋だろう。それを目先の人件費削減に拘泥するあまり、簡単に首を切ってヨシとする。そんなコストカット至上主義的なトレンドを皆が感じ取っている。サンドラが追い出されたならば、リストラに歯止めが掛からなくなり、次のターゲットは自分になるだろう。そういう風潮に対する抗議が、作品の求心力を高めている。
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌの演出は対象に肉迫し、観る者を引き付けてやまない。この監督の作品にしては珍しくマリオン・コティヤールというメジャーな俳優を主役として据えているが、彼女の迫真の演技は一見地味な題材を持つこの映画を、先の読めない良質のサスペンス劇にも仕立てている。
それにしても、本作を観て“主人公は甘えている。無駄なことはやめて、別の職を探すべきだ”と片付けてしまうような評をどこかで見かけたのにはゲンナリしてしまう。自分がサンドラの立場になったらどうなるのかという想像力が働かないようだ(誰でもそうなる可能性はゼロでは無いと思う)。しかしながら、ラストのヒロインの“男前ぶり”には感服した。世知辛い渡世も、こういう心意気を持って乗り切りたいものだ。