(原題:ALICE )90年作品。ウディ・アレンの第20作目だが、前作「重罪と軽罪」(89年)や前々作「私の中のもうひとりの私」(88年)と比べると、完全に物足りない出来である。まず、一番の敗因は、まさかと思われたオカルトまがいのネタをやってしまったことだ。
上流階級の主婦であるアリス(ミア・ファーロー)は、エリートでおだやかな夫ダグ(ウィリアム・ハート)と可愛い娘に囲まれ、暇な時間は女友達との買い物やおしゃべりで過ごしながら、なに不自由なく暮らしている。ある日、原因不明の背中の痛みを覚えたアリスは、女友達に勧められて“知る人ぞ知る”といわれるドクター・ヤン(キー・ルーク)をチャイナタウンに訪ねる。ヤンにもらった不思議な薬は次々に効き目をあらわし、アリスを異次元の世界へと誘うのだが・・・・。
アリスは不思議な薬で昔のボーイフレンドの幽霊に会ったり、突然大胆になって、前から気になっていた中年男性をデートに誘ったり、ついには透明人間になる薬を使って夫の浮気場面を目撃してしまう。だが、何か違うのだ。ファンタジー・コメディにしようという魂胆らしいが、ギャグがすべて空回り。こういう設定では絶対アレン本人が出演して、お笑いを盛り上げるべきだが、なぜか今回は出ていない。
それでは場違いのオカルトっぽいネタで何を見せてくれるかというと、ブルジョワ階級の有閑婦人の周囲の偽りに満ちた日常、というごくありふれたものであり、結局最後はそれに疑問を持ったヒロインが、夫を捨ててアフリカで奉仕活動をやるという、取って付けたような結末が待っている。この程度の題材をアレンがわざわざやる必要があったのだろうか。
ウィリアム・ハートをはじめとする豪華キャストも、大方は何しに出てきたのかわからないくらい、大した演技はしていない。これは期待外れだった。
コメディとして煮えきらず、かといって主題にそれほどの普遍性があるわけでもない。アレンとしては軽く流した作品かもしれないが、ハッキリ言って、観た後3日もたてば、全部忘れてしまうような出来である。 カルロ・デ・パルマのカメラによる暖色系の手触りのいい映像、センスのい選曲、舞台劇を思わせるステディなカメラワークなどは、いつもながら優れているとは思うものの・・・・。
上流階級の主婦であるアリス(ミア・ファーロー)は、エリートでおだやかな夫ダグ(ウィリアム・ハート)と可愛い娘に囲まれ、暇な時間は女友達との買い物やおしゃべりで過ごしながら、なに不自由なく暮らしている。ある日、原因不明の背中の痛みを覚えたアリスは、女友達に勧められて“知る人ぞ知る”といわれるドクター・ヤン(キー・ルーク)をチャイナタウンに訪ねる。ヤンにもらった不思議な薬は次々に効き目をあらわし、アリスを異次元の世界へと誘うのだが・・・・。
アリスは不思議な薬で昔のボーイフレンドの幽霊に会ったり、突然大胆になって、前から気になっていた中年男性をデートに誘ったり、ついには透明人間になる薬を使って夫の浮気場面を目撃してしまう。だが、何か違うのだ。ファンタジー・コメディにしようという魂胆らしいが、ギャグがすべて空回り。こういう設定では絶対アレン本人が出演して、お笑いを盛り上げるべきだが、なぜか今回は出ていない。
それでは場違いのオカルトっぽいネタで何を見せてくれるかというと、ブルジョワ階級の有閑婦人の周囲の偽りに満ちた日常、というごくありふれたものであり、結局最後はそれに疑問を持ったヒロインが、夫を捨ててアフリカで奉仕活動をやるという、取って付けたような結末が待っている。この程度の題材をアレンがわざわざやる必要があったのだろうか。
ウィリアム・ハートをはじめとする豪華キャストも、大方は何しに出てきたのかわからないくらい、大した演技はしていない。これは期待外れだった。
コメディとして煮えきらず、かといって主題にそれほどの普遍性があるわけでもない。アレンとしては軽く流した作品かもしれないが、ハッキリ言って、観た後3日もたてば、全部忘れてしまうような出来である。 カルロ・デ・パルマのカメラによる暖色系の手触りのいい映像、センスのい選曲、舞台劇を思わせるステディなカメラワークなどは、いつもながら優れているとは思うものの・・・・。