(原題:Alexander )2004年作品。オリヴァー・ストーン監督はベトナム戦争以外のネタを扱うと低調な出来に終わることが多いが、本作もそうである。しかも、中途半端にベトナム戦争のテイストが挿入されているので、余計にチグハグな印象を受けてしまう。
紀元前331年、世界最強と言われたペルシア帝国を壊滅させたマケドニアの若き王アレキサンダーは、アジア侵攻の途中でバクトリアの王女ロクサネを第一夫人に迎える。ところが軍の幹部達はアジア人との結婚を面白く思わない。暗殺されると思い込んだアレキサンダーは疑わしい者を次々と処刑していくが、次第に孤立化してしまう。やがて彼は大群を率いてインドまで侵攻するものの、部下が疲労を理由にこれ以上の進軍を拒否したため、やむなく退却した。そしてバビロンに戻り新規巻き直しを図った時点で、不可解な最期を遂げる。
巷でも言われているとおり、作品の中でのアレキサンダーはアメリカという国の象徴であろう。手前勝手な自由主義を振りかざし、辺境の地に軍隊を送り込む。現地人の迷惑など顧みない。特に終盤のインドでの戦いはベトナム戦争そのまんまであり、この強引さはオリヴァー・ストーンの面目躍如といったところ。
しかし、歴史上の偉人の所行を自己の“ベトナム戦でのトラウマの発露”にしてしまって良いのかという疑問が残る。アレキサンダーは一映画作家の内面的問題を投影しメタファー化できるほど“小さな”人物ではないはずだ。それを安易にやってしまったこと自体、作者の歴史に対する傲慢さが感じられる。
アレキサンダーというのは、その時代の古さや業績の大きさを考え合わせても、いわば人知を超えたスーパーマンである。神話の世界の住人に近い。だから映画はそれを“そのまま”描けば良かったのだ。ヘンに“苦悩する青年像”といった一般ピープルの次元に引き下ろそうとしても、観客は作者の小賢しい意図を見抜いてしまう(気の弱そうなコリン・ファレルの起用も図式的)。
作劇面も話にならない。序盤にスペクタクル場面(ガウガメラの戦い)を用意したまではいいが、その後はそれを上回る映像がないのでドラマは盛り下がる一方。同性愛の相手や母親を巡るエピソードは工夫もなく退屈の極み。これで3時間は辛い。
そして何より史劇としての品格がない。薄っぺらな映像とケンカの弱そうな登場人物たち。時代劇らしい面構えをした奴は一人もいない。アンジェリーナ・ジョリーやアンソニー・ホプキンス、ヴァル・キルマーといった脇の面子も精彩を欠く。本国での不評ぶりも十分頷ける失敗作だ。救いはヴァンゲリスの流麗な音楽のみである。