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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「泣き虫チャチャ」

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 昭和62年松竹作品。原案担当の山田洋次が当時の若者風俗を題材として取り上げたという珍しいシャシンだが、予想通りサマになっていない。しかし、ここでは逆にそれが“古い世代から見た若者”というモチーフを補完することになり、玄妙な効果をもたらす。90分足らずの小品ながら山田洋次のカラーもしっかり出ているという、味のある一編に仕上がっている。

 チャチャこと小野田千秋はレコーディング・ミキサーの助手として冴えない下積みの生活を送っている若い男だが、ディスコに行けば達者なダンスを披露して皆の喝采を浴びる。また映画館に勤める恋人のはるみや、オカマ・バーのスタッフである友人の勝らとつるんで過ごす日々は、決して辛いものではなかった。



 ある日、田舎の母の絹代から祖母の法事に帰って来るように連絡が入る。久々に戻った実家には親戚一同が顔を揃えているが、エリートコースを歩んでいる二人の兄と比べられて千秋は肩身の狭い思いをするしかない。そんな中、とある事情ではるみと勝が千秋の実家にやってくる。千秋は二人を泊まらせたいと両親に頼むが、父親はチャラチャラした連中を家に入れるわけにはいかないと、追い帰してしまう。千秋は怒って家を飛び出すのであった。

 劇中、絹代が“ダメな者のどこが悪いんだ。デキる者ばかりじゃ、世の中は回っていかない!”という意味のことを言うシーンがあるが、正直ここにはグッと来た。そうなのだ。上昇志向を押し付けるだけでは、何も解決しない。どんなに頑張ったところで、人にはそれぞれ資質というものがある。それを逸脱して分不相応なことを強要しても無駄であるばかりか、絹代のセリフ通り“世の中が回っていかなくなる”のだ。

 千秋を取り巻く地元の人々の対応、そして親戚からのプレッシャーは、ダメな者にとっては格差拡大の容認にしかならない。それでも、映画が作られた80年代後半は頑迷な地方共同体の価値観を逃れて都会に出れば、千秋のような者でも受け入れる鷹揚さと世の中全体の経済的余裕があった。しかしながら、優勝劣敗&格差是認の構図が隅々にまで浸透した現在にあっては、ダメな者の居場所はない。

 東京に戻ってからの千秋は身の丈に合った幸せを掴み取るのだが、それに対する作者の視線は温かい。弱者の立場を重視する山田洋次のスタンスが良く表れている。

 主人公に扮するのは当時人気のあった風見慎吾で、けっこうナイーヴな良い演技をしている。得意のブレイクダンスも披露するが、撮る側にこの手のシーンを上手く撮るスキルが無いためか盛り上がらない(笑)。しかし作品の雰囲気と観客層を考えると“若者というのは変わったことをやるもんだ”ということを示す意味であれば、これはこれでOKだ。

 脇を固める鳥居かほりや竹中直人、加藤武、林美智子、笠智衆といった面子も悪くない。監督の花輪金一はこれ以降演出作は無く、山田洋次のサポートに徹しているが、改めて監督を任せても良い腕前は持っていると思った。

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