(原題:The Theory of Everything)さっぱり面白くないのは、事実に基づいたこの映画の登場人物の大半が健在であるため、思い切った描き方が出来ないこと、そして特定個人の視点によってしか語られていないことによる。改めて実録映画の作り方の難しさを認識することになったのには、脱力するしかない。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を抱えながらも研究に励み、大きな成果をあげた車椅子の天才科学者スティーヴン・ホーキングと元妻のジェーンとの関係を描く。60年代初頭、ケンブリッジ大に籍を置く青年スティーヴンは物理学の分野で突出した才能を示し、将来を期待されていた。やがて文学部で学ぶジェーンと出会い、恋に落ちる。ところが、直後に彼はALSを発症。余命2年の宣告を受けてしまう。それでもジェーンはスティーヴンと添い遂げることを選び、二人は結婚。共に力を合わせて難病に立ち向かっていく。
まず、ジェーンの自伝を基にしていることが敗因だ。ストーリーは彼女を中心に展開し、当然のことながらジェーンにとって都合の悪いことや興味が無いことは描かれない。
開巻まもなくスティーヴンは“あと2年しか生きられない”と言われるが、それから何十年も経った今でも彼は生きている。どうして余命が伸びたのか全然説明されない。不自由な身体ながら彼は妻との間に子供をもうけるが、どのようにしてそれが“可能”であったのか、まるで語られない。このあたりを“下世話なことだから”と切って捨てるのは得策ではなく、ハンディキャップを乗り越える夫婦愛を浮き彫りにする上で不可欠であるはずだが、どうやらジェーンはそう思わなかったらしい。
常人とは違うスティーヴンとの生活に疲れた彼女は教会に救いを求め、そこの関係者の男性と良い仲になるのだが、このくだりは中途半端で説得力に欠ける。末っ子の父親は誰なのかというスキャンダルじみた噂に対し、彼女がキャンプ場で相手の男がいるテントに入ろうとするシーンで全てを暗示させようというやり方に至っては、作劇を放り出したかのような印象を受ける。
さらに、プロの介護者との力量の差を見せつけられることを後の離縁に関係付けようとする筋書きは、あまりにも安易だ。本当はかなりの葛藤があったはずだが、上っ面の描写でお茶を濁している。ちなみにスティーヴンは二度目の妻とも別れているが、その顛末を予想させるものは皆無である。
ジェームズ・マーシュの演出は及び腰で粘りに欠ける。主演のエディ・レッドメインは熱演だが、こういう役はある程度の力量を持った俳優ならば誰でもやれるのではないだろうか。ジェーン役のフェリシティ・ジョーンズが魅力的なのは若い頃のパートだけであった。映像や音楽は悪くないが目立った求心力は感じないし、何より同じ天才の話ならば「イミテーション・ゲーム」には及ばない。残念な出来である。