つまらない。設定は悪くないし、出演者も(約一名を除いて)それなりのメンバーを揃えてはいるが、まったく面白くならないのは演出と脚本が三流だからである。監督の廣木隆一もシナリオ担当の荒井晴彦も、かつて良い仕事をしていた時期は(ごく短い間)あったが、今では完全に“終わっている”連中だ。こういう面子を起用したことはプロデューサーの責任であり、早い話が企画段階でボツにするべきネタである。
周囲には“オレは一流ホテルに勤めている”と公言しているが、実はしがないラブホテルの雇われ店長をしている徹は、ミュージシャン志望の沙耶と一緒に暮らしている。しかし最近は倦怠期に入り、プロデビュー間近の相手にも気の利いた言葉一つ掛けられない。
徹は今日も歌舞伎町にある職場に出勤し多忙な一日が始まるが、ホテルでは家出少女と来店した風俗スカウトマンや、間もなく時効を迎える男と潜伏生活を送る清掃のおばちゃん、常連の韓国人デリヘル嬢、不倫真っ最中の警察官カップルなど、多彩な顔ぶれがそれぞれのドラマを繰り広げ、同時に種々雑多なトラブルも持ち込まれる。徹自身も家族や同僚達が抱える悩みに対応しきれなくなり、ここから去る時が近いことを意識するのであった。
いわば“ラブホテルを舞台にしたグランドホテル形式”(おかしな表現だが ^^;)の映画で、それ自体は別に悪くないだろう。御都合主義的な箇所も多数見られるが、こういうスタイルの映画では大きな欠点ではない。問題は筋書きや描写がどうしようもなく低レベルであることだ。
オープニング場面、沙耶が部屋でド下手なギターとド下手な歌を披露し、こりゃたまらんと思ったら何と彼女はもうすぐ歌手として芸能プロと契約を交わすのだという(激爆)。逃亡犯の中年カップルの生活は弛緩しきって緊張感のかけらもなく、韓国からの出稼ぎ組は帰国するの何だのと煮え切らない。
家出少女を憎からず思うようになった風俗スカウトマンは、元締めのヤクザから生温い(笑)オトシマエを付けられ、不倫の刑事達に至ってはバカバカしい言動に終始する。さらに、取って付けたように震災ネタだの新大久保のヘイトスピーチ集団だのを映し出して社会派に色目を使ったりする。これだから団塊世代の脚本屋(荒井)は嫌いだ。
徹役の染谷将太をはじめ、南果歩、松重豊、大森南朋、忍成修吾、我妻三輪子と使い方によっては活きる面子が並んでいるが、作り手がこのような体たらくなので無駄な顔見世興行にしかなっていない。風俗嬢に扮したイ・ウンウの整形臭い胸には萎えたが、それよりも沙耶を演じた前田敦子の超大根ぶりには脱力した。「紙の月」での大島優子もそうだが、AKB一派にとって映画俳優への道は限りなく遠い。