(原題:BOYHOOD )極めて退屈な映画だ。特に中盤以降は迫り来る眠気との戦いで手一杯だった。どうして世評が高いのか、まるで分からない。少なくとも“ひとりの少年の6歳から18歳までの成長と家族の軌跡を、同じ俳優を使って12年かけて撮った”というだけでは、それは単に手法のひとつに過ぎず、何ら質的なアドバンテージの獲得には繋がらないことは確かだ。
6歳の少年メイソンと姉、そしてシングルマザーの母はテキサス州の田舎町で暮らしていたが、突然母親が大学に戻って勉学をやり直すと言いだし、一家はヒューストンに転居する。そこでメイソンはアラスカから戻って来た父と再会し、一方で母は大学教員と再婚するが、いろいろあって落ち着く暇もない。それでも彼は着実に年齢を重ね、高校を卒業する頃にはアート写真家という将来の夢を見つける。
ストーリーだけ追えば、メイソンと(実父を含めた)家族が遭遇する出来事は、けっこう山あり谷ありである。母親は男運が悪く、再婚相手もDV野郎だ。それでも学業に専念して身を立てる努力を惜しまない。父親はミュージシャンの夢を諦めきれず、いい年して根無し草のような生活を送っていたが、何とかそこから人生を立て直そうとする。メイソン自身もガールフレンドや友人、義兄弟達との出会いや別れを繰り返す。
しかし、映画としては全然面白くならない。ただ漫然とエピソードを並べているだけだ。何もドラマティックな展開や外連味のある筋書きばかりを要求するわけではないが、もうちょっと観る側に対する喚起力というか、見せ所というか、そういうものがあって然るべきではないのか。
終盤、ライヴハウスで長々と話をした父親にメイソンがその要点を聞くシーンがあるが、その答えが“何も無い”というものだったのには脱力した。この場面に象徴されるように、本作には内容と呼べるものが一切見当たらない。もちろん“人生には何も無い”ということを確信犯的に描くという手もあったはずだが、それもやっていない。もちろん、ドキュメンタリー的な趣向も皆無。せいぜい最後に取って付けたように、主人公の女友達が講釈じみたセリフを口にするのみだ。
12年という製作期間をかけて、いったい何をやっていたのやら。それどころか、この“長い時間を費やして撮った”ということを言い訳にしたような、未解決のまま放り出しているエピソードが散見されるのには不快感を覚える。
リチャード・リンクレイター監督の作品は初めて観るが、キレもコクもない冗長な仕事ぶり。母親役のパトリシア・アークエットと実父に扮するイーサン・ホークも、ここでは大したパフォーマンスは見せていない。唯一印象に残ったのが、子供の頃は可愛かったメイソン(エラー・コルトレーン)が、18歳になったらヒゲ面の小汚い若造に変貌していたこと。まあ、これが歳月の流れというものなのだろう。