最近、オーディオショップでハイエンドのシステムを試聴することが出来た。ひとつはYG ACOUSTICSのスピーカーHaileyを中心とした装置で、アンプはKRELL、プレーヤー部はESOTERICのものが使用されていた。もうひとつはTECHDASのアナログ・プレーヤーAir Force Twoをフィーチャーしたシステムで、アンプはConstellation audioの製品、スピーカーはOCEAN WAYのモデルというラインナップだ。
その価格はというと、前者の総額が1,000万円超、後者に至っては2,500万円超である。音は、それぞれ良好だ。まったく破綻の無い展開である。しかしながら、果たしてこの音がこれだけの高価格に見合ったものであるのかというと、首を傾げざるを得ない。少なくとも、私はこれらのサウンドに“感心”はするが“感動”は覚えなかった。
これは以前から何度も言っていることで“またかよ!”と思う読者諸氏諸嬢もいるだろうが、昨今の高級オーディオ機器の、天井知らずの価格設定には閉口してしまう。軽く1,000万円をオーバーするようなものを、一体誰が買うのだろうか。
もちろん“買える人がいるから、そういう商品が出回っている”ということに間違いないだろう。ただし、オーディオ機器というものは、他の趣味のアイテムと違い、個人的な範囲で完結してしまうシロモノだ。たとえば高級車を家のガレージで飾っているだけのオーナーはそういない。車は走らせてこそ価値がある。公道をドライヴしていれば皆が目にするし、誰かを同乗させて運転することも出来る。高価な宝石やファッションも、それを身につけて不特定多数に見せつける(笑)ことに意味があると思う。
取引先の管理職に、ギターが好きで今まで購入費に1,000万円以上注ぎ込んだという人がいるが、何も彼は一度に1,000万円を投入したわけではない。長い期間にわたってその趣味を続けていった結果、合計金額が1,000万円に達しただけの話。しかも彼はよく家族や地域の人達のために演奏したりする。決して個人的な自己満足の範疇に留まってはいない。
ところが、ピュア・オーディオのシステムは完全に特定個人(およびその周りの極少数)向けの用途しか持ち合わせていない。家族みんなが楽しめるAVシステムとも次元を異にする。だから考えてみれば、1,000万円超ものピュア・オーディオのシステムを(家族の反対なしに)買える人というのは、金持ちの中でも限定的な層なのだと思う。
それに、今回試聴したような高価な装置を入手するリスナーは、果たして使いこなしが出来ているのだろうかと思う。あんなに大きくて重い機器は移動させるのも一苦労。細かなセッティングは至難の業だと思うし、ケーブルやインシュレーターを装着するのも苦労する。ひょっとして“高い機器を納品させて、無造作に置いてハイ終わり”ではないかと、貧乏人のひがみ交じりに毒づきたくなる(爆)。
・・・・とは言っても、前述のように“買える人がいるから、商品が存在している”というのは事実。どうせ庶民は買えない製品なので、どんなに高くても構わない。しかし、ディーラーも専門メーカーも業界ジャーナリズムも、そういった一般ピープルには縁の無い価格帯の商品ばかり褒めそやす傾向は、どう考えても健全とは思えない。
こんなことを書くのも、試聴した超高級システムの音が“感心”のレベルで終わってしまい“感動”を受けなかったことに端を発している。聴く者を“感心”させるだけで良いのならば、もっと手の届く価格セグメントのものを広く紹介してもらいたいものだ。ましてや“感心”どころか、聴いていて“不快”になるようなチープな機器や音源が広く罷り通っている今日この頃である。
その価格はというと、前者の総額が1,000万円超、後者に至っては2,500万円超である。音は、それぞれ良好だ。まったく破綻の無い展開である。しかしながら、果たしてこの音がこれだけの高価格に見合ったものであるのかというと、首を傾げざるを得ない。少なくとも、私はこれらのサウンドに“感心”はするが“感動”は覚えなかった。
これは以前から何度も言っていることで“またかよ!”と思う読者諸氏諸嬢もいるだろうが、昨今の高級オーディオ機器の、天井知らずの価格設定には閉口してしまう。軽く1,000万円をオーバーするようなものを、一体誰が買うのだろうか。
もちろん“買える人がいるから、そういう商品が出回っている”ということに間違いないだろう。ただし、オーディオ機器というものは、他の趣味のアイテムと違い、個人的な範囲で完結してしまうシロモノだ。たとえば高級車を家のガレージで飾っているだけのオーナーはそういない。車は走らせてこそ価値がある。公道をドライヴしていれば皆が目にするし、誰かを同乗させて運転することも出来る。高価な宝石やファッションも、それを身につけて不特定多数に見せつける(笑)ことに意味があると思う。
取引先の管理職に、ギターが好きで今まで購入費に1,000万円以上注ぎ込んだという人がいるが、何も彼は一度に1,000万円を投入したわけではない。長い期間にわたってその趣味を続けていった結果、合計金額が1,000万円に達しただけの話。しかも彼はよく家族や地域の人達のために演奏したりする。決して個人的な自己満足の範疇に留まってはいない。
ところが、ピュア・オーディオのシステムは完全に特定個人(およびその周りの極少数)向けの用途しか持ち合わせていない。家族みんなが楽しめるAVシステムとも次元を異にする。だから考えてみれば、1,000万円超ものピュア・オーディオのシステムを(家族の反対なしに)買える人というのは、金持ちの中でも限定的な層なのだと思う。
それに、今回試聴したような高価な装置を入手するリスナーは、果たして使いこなしが出来ているのだろうかと思う。あんなに大きくて重い機器は移動させるのも一苦労。細かなセッティングは至難の業だと思うし、ケーブルやインシュレーターを装着するのも苦労する。ひょっとして“高い機器を納品させて、無造作に置いてハイ終わり”ではないかと、貧乏人のひがみ交じりに毒づきたくなる(爆)。
・・・・とは言っても、前述のように“買える人がいるから、商品が存在している”というのは事実。どうせ庶民は買えない製品なので、どんなに高くても構わない。しかし、ディーラーも専門メーカーも業界ジャーナリズムも、そういった一般ピープルには縁の無い価格帯の商品ばかり褒めそやす傾向は、どう考えても健全とは思えない。
こんなことを書くのも、試聴した超高級システムの音が“感心”のレベルで終わってしまい“感動”を受けなかったことに端を発している。聴く者を“感心”させるだけで良いのならば、もっと手の届く価格セグメントのものを広く紹介してもらいたいものだ。ましてや“感心”どころか、聴いていて“不快”になるようなチープな機器や音源が広く罷り通っている今日この頃である。