展示されていたブランドはお馴染みのところが多かったが、それでもSPIRAL GROOVEやELECTROCOMPANIET等いくつか新規出品のメーカーのモデルも聴くことが出来て、それなりに得るものがあった。
逆に最も失望したのがSONYである。新型のプリメインアンプとネットワークプレーヤーが紹介され、同社のスピーカーSS−AR2を使ってのデモが行われていた。説明するメーカーのスタッフの弁舌には熱がこもっていたが、肝心の音はまるで話にならない。何というか、音楽が鳴っているという感じが全然しないのだ。ただ単に音が出ているという状態に過ぎず、音楽を楽しく聴かせるキレとかコクとか明るさとか艶っぽさみたいなものは皆無。
ならば聴感上の物理特性が凄いのかというと、そうでもない。寸詰まりでレンジも音場も広がらない印象を受ける。同じ部屋に海外の有名ブランド品も置いてあっただけに、大きく見劣りするのは仕方がないだろう。
昔のSONYは良かった。70年代後半のSS−G7をはじめとするフロア型スピーカーは実に味わい深い“大人の音”だったし、バブル期に出したアンプ類は骨太な展開で所有満足度も高かったものだ。それだけに、今の体たらくにはガッカリである。だいたい、CDの考案元であるにもかかわらずCDプレーヤーを新たにリリースしていないというのだから呆れる。
パソコン事業の“切り売り”をはじめ最近いい話を聞かないSONYだが、今回の低調なデモはそれを象徴しているかのような印象を受けてしまった。実に寂しい話である。
最後に、会場で某大手メーカーのスタッフから聞いた話を紹介したい。最近はネットからダウンロードする圧縮音源が大手を振って罷り通っているが、そんな情報量を間引いたような音源しか聴いてこなかった若い者にちゃんとしたピュア・オーディオシステムの音を聴かせると、驚くことに彼らは拒否反応を示すのだという。
いわく“音がいっぱい飛んできてコワイ”とか“声が生々しくてキモい”とか、そういうネガティヴなセリフが飛び交うという。もちろん、音楽活動をやっている若い衆(プロアマ問わず)は上質なオーディオシステムの音の良さを素直に認めるらしいが、そうではないその他大勢は良い音に接しても腰が引けてしまうとか。
そのスタッフは“確かに情報量が小さい音を心地良いと思うケースがある。たとえばラジオ放送や昔のカセットテープの音は、長時間聴いても疲れない”とは言ったものの、それは良い音で聴ける装置(ステレオセット)が存在していることを承知した上で、ラジオやカセットはその“代用品”に過ぎないと皆が認識していた時代の話だろう。圧縮音源以外のソースがこの世に存在しないと思っている今の若い連中にとっては、ピュア・オーディオシステムは“得体の知れない何か”であっても仕方がない。
もちろん、今さらこんな状況を嘆いてみても無駄であり、そもそも責任は市場縮小に手を拱いてきたオーディオメーカーの側にある。くだんのスタッフ氏に“では、メーカーとしては若い者達に対して啓蒙活動(?)みたいなことはやっているのか?”と聞いたら“東京と大阪で小規模なものは実施しているが、本腰据えてはやっていない”との回答を得た。
まあ、どこも自分のところの“目先の利益”が大切だというのも分かるが、少しは市場の拡大というマクロな視点でビジネスを見直して欲しいものである。
(この項おわり)
逆に最も失望したのがSONYである。新型のプリメインアンプとネットワークプレーヤーが紹介され、同社のスピーカーSS−AR2を使ってのデモが行われていた。説明するメーカーのスタッフの弁舌には熱がこもっていたが、肝心の音はまるで話にならない。何というか、音楽が鳴っているという感じが全然しないのだ。ただ単に音が出ているという状態に過ぎず、音楽を楽しく聴かせるキレとかコクとか明るさとか艶っぽさみたいなものは皆無。
ならば聴感上の物理特性が凄いのかというと、そうでもない。寸詰まりでレンジも音場も広がらない印象を受ける。同じ部屋に海外の有名ブランド品も置いてあっただけに、大きく見劣りするのは仕方がないだろう。
昔のSONYは良かった。70年代後半のSS−G7をはじめとするフロア型スピーカーは実に味わい深い“大人の音”だったし、バブル期に出したアンプ類は骨太な展開で所有満足度も高かったものだ。それだけに、今の体たらくにはガッカリである。だいたい、CDの考案元であるにもかかわらずCDプレーヤーを新たにリリースしていないというのだから呆れる。
パソコン事業の“切り売り”をはじめ最近いい話を聞かないSONYだが、今回の低調なデモはそれを象徴しているかのような印象を受けてしまった。実に寂しい話である。
最後に、会場で某大手メーカーのスタッフから聞いた話を紹介したい。最近はネットからダウンロードする圧縮音源が大手を振って罷り通っているが、そんな情報量を間引いたような音源しか聴いてこなかった若い者にちゃんとしたピュア・オーディオシステムの音を聴かせると、驚くことに彼らは拒否反応を示すのだという。
いわく“音がいっぱい飛んできてコワイ”とか“声が生々しくてキモい”とか、そういうネガティヴなセリフが飛び交うという。もちろん、音楽活動をやっている若い衆(プロアマ問わず)は上質なオーディオシステムの音の良さを素直に認めるらしいが、そうではないその他大勢は良い音に接しても腰が引けてしまうとか。
そのスタッフは“確かに情報量が小さい音を心地良いと思うケースがある。たとえばラジオ放送や昔のカセットテープの音は、長時間聴いても疲れない”とは言ったものの、それは良い音で聴ける装置(ステレオセット)が存在していることを承知した上で、ラジオやカセットはその“代用品”に過ぎないと皆が認識していた時代の話だろう。圧縮音源以外のソースがこの世に存在しないと思っている今の若い連中にとっては、ピュア・オーディオシステムは“得体の知れない何か”であっても仕方がない。
もちろん、今さらこんな状況を嘆いてみても無駄であり、そもそも責任は市場縮小に手を拱いてきたオーディオメーカーの側にある。くだんのスタッフ氏に“では、メーカーとしては若い者達に対して啓蒙活動(?)みたいなことはやっているのか?”と聞いたら“東京と大阪で小規模なものは実施しているが、本腰据えてはやっていない”との回答を得た。
まあ、どこも自分のところの“目先の利益”が大切だというのも分かるが、少しは市場の拡大というマクロな視点でビジネスを見直して欲しいものである。
(この項おわり)