(原題:HIT MAN )まるで面白くない。題材こそ興味深いが、映画としてはそれを全然活かしきっていない。筋書きは要領を得ないばかりか、テンポも悪い。ならば各キャラクターが屹立しているのかというと、感情移入出来る登場人物が皆無というのだからやり切れない。ただし困ったことに、評論家筋ではウケが良いらしい。映画の好みというのは個人それぞれだというのは承知しているが、これほど他者の評価と接点が見出せないシャシンというのも珍しい。
ニューオーリンズに住む大学教授のゲイリー・ジョンソンは、心理学と哲学を学生に教える一方、周囲には内緒で地元警察に技術スタッフとして協力していた。あるとき、おとり捜査のベテランであるジャスパー刑事が不祥事で突然職務停止になり、代わりにゲイリーが殺し屋に扮することになる。
慣れない仕事に当初は戸惑っていた彼だが、結果は成功。これに味をしめたゲイリーは、それから各ターゲットに応じて“役柄”に徹することを楽しむようになる。ところが夫の殺害を依頼してきたマディソン・マスターズに殺し屋として接した彼は、思いがけず彼女に惚れてしまう。仕事の範囲を超えてマディソンと付き合うようになったゲイリーだったが、何と後日、マディソンの夫が何者かに殺害されるという事件が起きる。
主人公の造型と彼が請け負う仕事の内容は、確かに面白い。ある程度実話を元にしたネタということだから、アメリカではこのような“職業”が実在するのだろう。しかし、その料理の仕方がなっていない。
ゲイリーが変装や何やらで入念に“仕事”に対する準備を進め、それで任務を全うするというパターンは2,3回やる分には面白いのだろうが、この映画は延々とリフレインする。しかも、毎回段取りと撮り方はほぼ一緒で、画面は徐々に弛緩するばかり。マディソンと出会うあたりでようやくドラマは動いてくるのだが、それから先もまたテンポが悪く緊張感のカケラも無いのだ。終盤の展開とラストの処理に至っては、観る者をバカにしているんじゃないかと思うほど工夫もカタルシスも不在である。
リチャード・リンクレイター監督の仕事ぶりは2014年に撮った「6才のボクが、大人になるまで。」と同様、メリハリが不足。主演のグレン・パウエルは凡庸に見えるし、マディソンのアドリア・アルホナも魅力が出ていない。オースティン・アメリオやサンジャイ・ラオ、グラレン・ブライアント・バンクスといったキャストにも特筆できるものは見当たらない。
ニューオーリンズに住む大学教授のゲイリー・ジョンソンは、心理学と哲学を学生に教える一方、周囲には内緒で地元警察に技術スタッフとして協力していた。あるとき、おとり捜査のベテランであるジャスパー刑事が不祥事で突然職務停止になり、代わりにゲイリーが殺し屋に扮することになる。
慣れない仕事に当初は戸惑っていた彼だが、結果は成功。これに味をしめたゲイリーは、それから各ターゲットに応じて“役柄”に徹することを楽しむようになる。ところが夫の殺害を依頼してきたマディソン・マスターズに殺し屋として接した彼は、思いがけず彼女に惚れてしまう。仕事の範囲を超えてマディソンと付き合うようになったゲイリーだったが、何と後日、マディソンの夫が何者かに殺害されるという事件が起きる。
主人公の造型と彼が請け負う仕事の内容は、確かに面白い。ある程度実話を元にしたネタということだから、アメリカではこのような“職業”が実在するのだろう。しかし、その料理の仕方がなっていない。
ゲイリーが変装や何やらで入念に“仕事”に対する準備を進め、それで任務を全うするというパターンは2,3回やる分には面白いのだろうが、この映画は延々とリフレインする。しかも、毎回段取りと撮り方はほぼ一緒で、画面は徐々に弛緩するばかり。マディソンと出会うあたりでようやくドラマは動いてくるのだが、それから先もまたテンポが悪く緊張感のカケラも無いのだ。終盤の展開とラストの処理に至っては、観る者をバカにしているんじゃないかと思うほど工夫もカタルシスも不在である。
リチャード・リンクレイター監督の仕事ぶりは2014年に撮った「6才のボクが、大人になるまで。」と同様、メリハリが不足。主演のグレン・パウエルは凡庸に見えるし、マディソンのアドリア・アルホナも魅力が出ていない。オースティン・アメリオやサンジャイ・ラオ、グラレン・ブライアント・バンクスといったキャストにも特筆できるものは見当たらない。