(原題:THE BLACK BOOK)2023年9月よりNetflixから配信されたスリラー映画。本作の一番の注目ポイントは、出来映えよりも製作国である。何とこの映画、ナイジェリアで作られているのだ。この国の映画を観るのは初めてで、事実それまで味わったことがない空気感が横溢している。その点だけで接する価値はあると言えよう。
ナイジェリアの最大の都市ラゴスでは、政治活動家の家族が誘拐され殺されるという凶悪事件が起こり、世間を騒がせていた。一方、教会で助祭を務めるポール・エディマは、久々に帰省する息子を待っていた。ところが息子はその途中で誘拐犯に仕立て上げられ、ヤクザと結託した当局側の者たちによって消されてしまう。警察はアテにならず、ポールは自らの手で正義の裁きを下そうと決意する。実は彼はかつて軍の特殊部隊に属しており、80年代のクーデターの発生にも一枚噛んでいたのだ。女性新聞記者のヴィクや街の顔役の助けを借りながら、ポールは冷徹に復讐を実行してゆく。
エディティ・エフィオングの演出はかなり大味で、行き当たりばったりにストーリーを進めているという印象しかない。後半はそのストーリーも破綻気味であり、筋の通らないシークエンスが頻発する。ならばアクション場面が優れているかというと、そうでもない。特にラストの処理なんか呆気なくて、カタルシスを得るところまでは行かない。
しかし、劇中で淡々と紹介されるこの国の不条理さは驚くべきものだ。軍隊も警察も犯罪組織も完全にグル。もちろん政府の腐敗は甚だしいレベル。マスコミも機能しておらず、ヴィクの上司でさえ反社会的勢力と結託している。アメリカ製の犯罪映画も真っ青になるほどの、まさに八方塞がりの逆境だ。思えば60年代のビアフラ戦争から始まって、ナイジェリアの政情が安定したことは無い。2億を超える人口と潤沢な石油資源がありながら、国力の向上には全く繋がらないのだ、そんな状況だからこそ、この映画で描かれるような暗く殺伐とした空間が広がっているのだろう。
主役のリチャード・モフェ=ダミジョーは好演。アデ・ラオイェやサム・デデ、アレックス・ウシフォ、オルミデ・オウォルといったキャストはもちろん馴染みは無いが、皆悪くないパフォーマンスをしている。あと印象的なのは、セリフのほとんどが英語であること。考えれば長らくイギリスの植民地だったので当然なのだが、時折挿入される現地語の方が違和感がないように思えた。
ナイジェリアの最大の都市ラゴスでは、政治活動家の家族が誘拐され殺されるという凶悪事件が起こり、世間を騒がせていた。一方、教会で助祭を務めるポール・エディマは、久々に帰省する息子を待っていた。ところが息子はその途中で誘拐犯に仕立て上げられ、ヤクザと結託した当局側の者たちによって消されてしまう。警察はアテにならず、ポールは自らの手で正義の裁きを下そうと決意する。実は彼はかつて軍の特殊部隊に属しており、80年代のクーデターの発生にも一枚噛んでいたのだ。女性新聞記者のヴィクや街の顔役の助けを借りながら、ポールは冷徹に復讐を実行してゆく。
エディティ・エフィオングの演出はかなり大味で、行き当たりばったりにストーリーを進めているという印象しかない。後半はそのストーリーも破綻気味であり、筋の通らないシークエンスが頻発する。ならばアクション場面が優れているかというと、そうでもない。特にラストの処理なんか呆気なくて、カタルシスを得るところまでは行かない。
しかし、劇中で淡々と紹介されるこの国の不条理さは驚くべきものだ。軍隊も警察も犯罪組織も完全にグル。もちろん政府の腐敗は甚だしいレベル。マスコミも機能しておらず、ヴィクの上司でさえ反社会的勢力と結託している。アメリカ製の犯罪映画も真っ青になるほどの、まさに八方塞がりの逆境だ。思えば60年代のビアフラ戦争から始まって、ナイジェリアの政情が安定したことは無い。2億を超える人口と潤沢な石油資源がありながら、国力の向上には全く繋がらないのだ、そんな状況だからこそ、この映画で描かれるような暗く殺伐とした空間が広がっているのだろう。
主役のリチャード・モフェ=ダミジョーは好演。アデ・ラオイェやサム・デデ、アレックス・ウシフォ、オルミデ・オウォルといったキャストはもちろん馴染みは無いが、皆悪くないパフォーマンスをしている。あと印象的なのは、セリフのほとんどが英語であること。考えれば長らくイギリスの植民地だったので当然なのだが、時折挿入される現地語の方が違和感がないように思えた。