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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「せかいのおきく」

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 題材はとても興味深いのだが、筋書きはどうもパッとしない。何やら作者はこのネタを取り上げることだけに傾注しているようで、観終わってみればボンヤリとした印象を受ける。最近はあまり作られなくなった時代劇なので幾分期待したのだが、やはり時代物だろうが現代劇だろうが、大事なのは脚本の精査なのだと、改めて思った次第。

 江戸時代末期、下肥買いの矢亮と紙屑拾いの中次は、ある雨の日に厠のひさしの下で雨宿りしていた時、松村きくと出会う。彼女は武家育ちながら父親の源兵衛は政争で職を追われ、今は貧乏長屋に暮らしながら、寺子屋で子供たちに読み書きを教えていた。そんな中、源兵衛は彼を突け狙う者たちに襲われ死亡。助太刀に入ろうとしたきくも喉を切られて声を失ってしまう。矢亮と彼の仕事仲間になった中次は、彼女を見守り続ける。



 汚穢屋というモチーフは着眼点としては秀逸だし、彼らの仕事ぶりを取り上げるのは珍しい。当時のトイレ事情が良く分かるのも本作の長所だ。しかしながら、タイトルにもある“せかい”の捉え方には不満がある。この“せかい”というのは、当時の知識人であった源兵衛が認識していた文字通りの世界情勢のことだ。だが、その娘であるきくが理解していたかどうかは極めて怪しい。ましてや矢亮や中次などは考えも及ばないであろう。そんな曖昧模糊とした御題目を真ん中に置いて何か事が進展するのかというと、それは無理だ。

 映画の中盤以降はきくと中次とのラブコメ壁ドン路線が炸裂するばかりで、何が“せかい”なのかは一向に明らかにされない。脚本も担当した監督の阪本順治は確かに気合いが入っていて、下肥買いの直接的描写を避けるがごときモノクロ映像を大々的にフィーチャーすると共に、スクリーンも35ミリのスタンダードサイズに収めている。しかし、なぜか時折画面がカラーになるのは戸惑う。聞くところによれば映画の各章ごとの節目という意味があるらしいが、あまり効果的とも思えない。

 それでもヒロイン役の黒木華をはじめ、寛一郎と池松壮亮という主役3人の存在感は際立っている。特に寛一郎は源兵衛に扮した佐藤浩市との“親子共演”になっていて面白い。眞木蔵人に石橋蓮司という脇の面子も好調だ。撮影担当の笠松則通は安定した仕事ぶり。安川午朗の音楽も控えめながら的確な展開だ。

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