(原題:SUR L'ADAMANT )対象物にカメラを向け漫然と回しているだけのドキュメンタリー映画で、退屈な内容だ。いつ盛り上がるのかと待っている間にエンドマークが出てしまった。第73回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品され大賞を獲得した映画ながら、今回もまた“主要アワードを受賞した作品が良い映画とは限らない”という“真実”を確認した次第である。
パリ市内を流れるセーヌ川に浮かぶ木造船“アダマン号”は、メンタル的なハンデを負う人々向けのデイケアセンターだ。彼らはそこで絵画や音楽、詩などの文化的活動に勤しみ、精神の安定と癒やしを得ている。正直言って、この“事実の紹介”だけで終わっているシャシンで、そこから何か深いドラマやメッセージ性が醸し出されることは無い。
映画は“アダマン号”に通う者たちのインタビューを延々と流すが、別に面白くも何ともなく、あたりには弛緩した空気が漂うだけだ。そもそも、ここに集う人たちは比較的“軽症”の者ばかりである。しかも芸術方面への“腕に覚えがある”面子も目立つ。日常生活に支障を来すほどの重い症状を抱えた者はいないし、介護する側のシビアな状況も描写されない。つまりは、メンタルケアの現場の中で小綺麗な部分だけを切り取り、何とか体裁を整えただけの作品だ。
作っている者たちにとっての“心地よい”環境は提示されるが、そこには問題意識の欠片も見出せない。それに“アダマン号”はそれほど快適な空間だとは思えない。変わった形状の窓を閉めてしまえば、密室に近い環境になる。有り体に言えば息苦しいだけなのだ。
監督のニコラ・フィリベールの仕事ぶりは平板で、「ぼくの好きな先生」(2002年)で特徴的だった映像の美しさも無い。繰り返すが、このパッとしない作品がどうしてベルリンに出品されたのか、そしてなぜ金熊賞まで取ってしまったのか、全然納得できない。あと日本の配給会社が資本参加しているようだが、その意図も不明だ。
パリ市内を流れるセーヌ川に浮かぶ木造船“アダマン号”は、メンタル的なハンデを負う人々向けのデイケアセンターだ。彼らはそこで絵画や音楽、詩などの文化的活動に勤しみ、精神の安定と癒やしを得ている。正直言って、この“事実の紹介”だけで終わっているシャシンで、そこから何か深いドラマやメッセージ性が醸し出されることは無い。
映画は“アダマン号”に通う者たちのインタビューを延々と流すが、別に面白くも何ともなく、あたりには弛緩した空気が漂うだけだ。そもそも、ここに集う人たちは比較的“軽症”の者ばかりである。しかも芸術方面への“腕に覚えがある”面子も目立つ。日常生活に支障を来すほどの重い症状を抱えた者はいないし、介護する側のシビアな状況も描写されない。つまりは、メンタルケアの現場の中で小綺麗な部分だけを切り取り、何とか体裁を整えただけの作品だ。
作っている者たちにとっての“心地よい”環境は提示されるが、そこには問題意識の欠片も見出せない。それに“アダマン号”はそれほど快適な空間だとは思えない。変わった形状の窓を閉めてしまえば、密室に近い環境になる。有り体に言えば息苦しいだけなのだ。
監督のニコラ・フィリベールの仕事ぶりは平板で、「ぼくの好きな先生」(2002年)で特徴的だった映像の美しさも無い。繰り返すが、このパッとしない作品がどうしてベルリンに出品されたのか、そしてなぜ金熊賞まで取ってしまったのか、全然納得できない。あと日本の配給会社が資本参加しているようだが、その意図も不明だ。