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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「生きる LIVING」

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 (原題:LIVING)予想以上にウェルメイドで、鑑賞後の満足度は高い。1952年に作られた黒澤明監督の「生きる」は間違いなく映画史上に残る傑作だが、この再映画化ということになるとハードルはかなり高く、過度な期待は禁物。ただし、脚本をカズオ・イシグロが担当すると聞き俄然興味を覚えた。そして実際に観てみると、良い意味でイシグロのカラーが出ていることに感心する。

 舞台はロンドンだが、時代設定はオリジナルと同じ。ストーリーもほぼ一緒なのだが、本作は黒澤明の身を切るような冷ややかで厳しい人間観察は影を潜めている。それが最も顕著なのは、元ネタで小田切みきが演じた、主人公の部下だった若い女子の扱いだ。オリジナルにおけるこのキャラクターは、それまで堅物だった主人公がなぜか若干ソフトになったことを面白がり、しばらくは付き合ってはみるが、彼が難病に罹患していることを知るやダッシュで離れてしまう。とにかく厄介なことには関わりたくないという、徹底してドライな造型だった。



 対してこのリメイク版における元市職員の女子は、かつての上司の境遇を知って心が揺さぶられ、涙さえ流すのだ。また、オリジナルで伊藤雄之助が扮したメフィストフェレスみたいな小説家に比べれば、この映画の無頼派の物書きはけっこうナイスガイだ。黒澤版では主人公の仕事仲間はチンケな小役人ばかりだが、本作の主人公の部下や同僚はほぼ真人間であり、若く前向きな新入職員まで登場させている。息子との関係性も、殺伐としたオリジナル版とは随分と違う。

 斯様にこの映画は、黒澤版とは異なるハートウォーミングなテイストが目立っている。これがシナリオ担当者の個性なのだが、それでこの題材の大きさが損なわれているかというと、そうではない。善意の者たちが目立つからこそ、この世を去る主人公の悲哀と決意が際立つとも言えるのだ。オリジナル版に比べて40分ほど短いのも、徹底して人間の性を追い詰めた黒澤明と一線を画したある種の娯楽性を獲得している。

 監督のオリヴァー・ハーマナスの名は初めて知ったが、カンヌで受賞するなど実績はあるようだ。本作では実に重心の低い万全の仕事を見せ、また83年生まれと若いことから、今後の活躍が期待できる。主演のビル・ナイのパフォーマンスはまさに横綱相撲。市役所職員としてはいささか年を取り過ぎているようにも思えるが、悠然と構えた英国紳士を余裕で表現している。

 エイミー・ルー・ウッドにアレックス・シャープ、トム・バーク、エイドリアン・ローリンズらの配役も派手さは無いが本当に手堅い。当時のロンドンの町並みは巧みに再現されており、主人公が口ずさむスコットランド民謡“ナナカマドの木”は、黒澤版における“ゴンドラの唄”に負けないほどの存在感を示す。本年度のヨーロッパ映画の収穫だ。

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