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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「対峙」

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 (原題:MASS)強靱な求心力を持つ映画で、鑑賞後の手応えは万全だ。どうしてこの映画が米アカデミー賞の候補にならなかったのか不明だが、そこにはたぶん諸般の事情があったのだろう。とはいえ、作品のクォリティからすれば作品賞レベルだ。今も世界各地で起こっている悲惨な出来事に、我々はどう向き合えば良いのか、そのヒントを与えてくれるだけでも本作の価値は実に大きい。

 アイダホ州の田舎町にある教会に、二組の中年夫婦がやってくる。この地区では6年前に高校銃乱射事件が発生し、多数の生徒が殺害された。犯人はその高校に通っていた少年で、犯行後に校内で自ら命を絶っている。くだんの夫婦は被害者の両親、そして加害者の父と母だ。4人は教会の奥の小さな部屋で顔を合わせるが、立会人もいない状況で最初は何を話せば良いのか分からない。しかし、事件前のそれぞれの子供の状態が明かされると、次第に道義的責任の所在などに関して激論が交される。



 一見すれば有り得ない話かもしれないが、事件から年月が経っており、加えて法的な問題は民事・刑事とも決着が付いていることが暗示され、それほどの違和感は無い。しかも、劇中での対面はセラピストの発案であり、場所が教会であるという点が大きな意味を持つ。この顔合わせは相手の落ち度を指弾して対立を深めるものではなく、相互理解のためにあるのだ。

 ただ、それでも“加害者と被害者の身内が理解し合えるわけがないだろ!”という突っ込みは入るだろう。ところがこの映画には、その先入観を揺るがすだけのパワーと志の高さがある。加害者の両親は決して“こういう親だから子は道を誤って当然”と思われるような人間ではなく、良識的な人物で銃規制などの社会活動にも関わっている。だからこそ息子の常軌を逸した行動を理解できない。



 被害者の両親は何とか事件の背景を問い質そうとするが、どうにもならない。やがて映画は、この悲劇の道義的責任を突き詰めることは不可能であり、そこに拘泥している限り誰も救われないことを指し示す。ではいったい本当に必要なものは何なのか、それは“赦し”であるというのが本作のテーマだ。舞台を教会に設定したことが大きなモチーフになり、これにはキリスト教とは縁の浅い日本人が観ても大いに心を揺さぶられる。

 脚本も担当したフラン・クランツの演出は堅牢で、(途中でスクリーンサイズが変わるというアイデアはイマイチだが)真剣勝負の対話劇を一歩も引かずに描き切る。主要キャラクターを演じるリード・バーニーにアン・ダウド、ジェイソン・アイザックス、マーサ・プリンプトンのパフォーマンスは素晴らしい。特に若くて可愛かった頃を知っている映画ファンが多いプリンプトンの、老いを隠そうともしない力演には圧倒される。終盤に流れるミサ曲が清冽な感動をもたらし、忘れられない余韻を残す。

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