(原題:孩子王)87年作品。中国の代表的監督である陳凱歌(チェン・カイコー)が才気煥発だった頃の映画で、かなりの高クォリティを実現している。彼はこの6年後に代表作「さらば、わが愛/覇王別姫」を撮るのだが、見ようによっては(派手さは無いが)本作の方が存在感が大きい。アジア映画好きならばチェックする価値はある。
1960年代後半、中国では文化大革命の一環として国民を徴用して農業に従事させる、いわゆる“下放”が断行されていた。主人公の若者は山間部の貧しい農村の分校に教師として派遣されるが、そこには教師用の指導要領書も無く、ただ共産党の教義を一方的に生徒たちに伝えることだけが求められていた。この状況に納得いかない彼は、自分なりの教育方針を打ち出して生徒たちに学ぶ楽しさを知ってもらおうとする。その試みは軌道に乗るのだが、やがて彼の所業を党の上層部が聞きつける。四川省出身の作家で現アメリカ在住の阿城(アー・チョン)による短編小説の映画化だ。
冒頭、舞台になる村を囲む山々から太陽が昇り、夕方になって日が沈むまでをコマ送りのワン・カットでとらえた荘厳なシーンが映し出された時点で、一気に観る者を映画に引き込んでしまう。斯様に、本作は文革の過ちを声高に糾弾する類のシャシンではなく、抑制されたタッチと象徴的な映像により主題を浮き彫りにしようとする。
主人公の奮闘には決してカメラは肉薄せず、一歩も二歩も引いた地点から現象面だけをピックアップするのだが、それが却って問題の重大さと主人公の志の高さを強調する。特に、主人公と勉強熱心な生徒男子がある“賭け”をするシークエンスは印象的。撮り様によってはかなり盛り上がるエピソードなのだが、映画は淡々と経緯を追うだけで、重要なのはこの一件で生徒が得た“教養”なのだということを明示する。
静かな作劇ではあるが陳凱歌の演出は一点の緩みも見せず、圧倒的な映像美も相まって、鑑賞後の満足度は高い。余韻たっぷりの幕切れも実に印象的だ。主演のシエ・ユアンは好演。生徒たちも良い面構えをしている。なお、本作は88年の第41回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されたが、当部門で上映された初の中国映画になった。
1960年代後半、中国では文化大革命の一環として国民を徴用して農業に従事させる、いわゆる“下放”が断行されていた。主人公の若者は山間部の貧しい農村の分校に教師として派遣されるが、そこには教師用の指導要領書も無く、ただ共産党の教義を一方的に生徒たちに伝えることだけが求められていた。この状況に納得いかない彼は、自分なりの教育方針を打ち出して生徒たちに学ぶ楽しさを知ってもらおうとする。その試みは軌道に乗るのだが、やがて彼の所業を党の上層部が聞きつける。四川省出身の作家で現アメリカ在住の阿城(アー・チョン)による短編小説の映画化だ。
冒頭、舞台になる村を囲む山々から太陽が昇り、夕方になって日が沈むまでをコマ送りのワン・カットでとらえた荘厳なシーンが映し出された時点で、一気に観る者を映画に引き込んでしまう。斯様に、本作は文革の過ちを声高に糾弾する類のシャシンではなく、抑制されたタッチと象徴的な映像により主題を浮き彫りにしようとする。
主人公の奮闘には決してカメラは肉薄せず、一歩も二歩も引いた地点から現象面だけをピックアップするのだが、それが却って問題の重大さと主人公の志の高さを強調する。特に、主人公と勉強熱心な生徒男子がある“賭け”をするシークエンスは印象的。撮り様によってはかなり盛り上がるエピソードなのだが、映画は淡々と経緯を追うだけで、重要なのはこの一件で生徒が得た“教養”なのだということを明示する。
静かな作劇ではあるが陳凱歌の演出は一点の緩みも見せず、圧倒的な映像美も相まって、鑑賞後の満足度は高い。余韻たっぷりの幕切れも実に印象的だ。主演のシエ・ユアンは好演。生徒たちも良い面構えをしている。なお、本作は88年の第41回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されたが、当部門で上映された初の中国映画になった。