(原題:FLAG DAY)ショーン・ペンの、アメリカン・ニューシネマ的な“アンチ・ヒーロー”のスタイルを再認識できる作品。しかも今回は監督作として初めて自ら出演しており、実子を家族役としてキャスティングしているという念の入れようだ。思い入れの強さが窺え、それだけ見応えはある。ただし、万全の内容かというと、そうではない。
1992年、全米を揺るがした大々的な偽札事件の主犯であるジョン・ヴォーゲルが、公判を目前にして逃亡。それを知った娘のジェニファーは、父親と過ごした日々を思い出す。典型的な山師で、一攫千金を目指して頻繁に無謀なビジネスに手を出していたジョン。そのために家を空けることが多く、たまに帰ってきたと思ったら、話の内容は事業の失敗と負債のみ。そのため妻は愛想を尽かして家を出る。
そんなロクでもない父だが、ジェニファーは子供の頃から大好きだった。母親の再婚相手とは馴染まない彼女はそれからも苦難の人生を歩むが、節目にはいつも父の存在があった。ジャーナリストのジェニファー・ヴォーゲルが2005年に発表した回顧録の映画化だ。破滅型で権力や既存の価値観にとことん刃向かうジョンの造型は、いかにもショーン・ペンが好みそうなキャラクターではある。そんな父親に複雑な感情を抱きつつも慕っているジェニファーも、肉親に対する愛憎相半ばするスタンスを良く表現している。
しかしよく考えると、ジェニファーの父親への“評価”は、結局は一緒に過ごした時間が普通の親子に比べて少ないことが大きいのではないか。たまにしか会えないから、ジョンは娘にいい顔を見せようとするし、ジェニファーは父の荒唐無稽な話に目を輝かせる。同じ屋根の下でずっと生活を共にしていれば、互いに納得できない部分が表面化する。
もっともジェニファーは大人になった後に父の無軌道な所業を知るのだが、それでもジョンを否定しきれないのは子供の頃の思い出があるからだ。反面、ジョンの妻パティやジェニファーの弟ニックの内面が掘り下げられていないのは不満でもある。ショーン・ペンの演出はドラマ運びは手慣れているとはいえ、脚本に深みが足りないのでインパクトに欠ける。
ジェニファーに扮するのはショーンの実娘ディラン・ペンで、かなり健闘している。ニック役も実の息子のホッパー・ジャック・ペンだ。ジョシュ・ブローリンにノーバート・レオ・バッツ、エディ・マーサン、キャサリン・ウィニックといった脇の面子は手堅い。だが、映画としては物足りない。
1992年、全米を揺るがした大々的な偽札事件の主犯であるジョン・ヴォーゲルが、公判を目前にして逃亡。それを知った娘のジェニファーは、父親と過ごした日々を思い出す。典型的な山師で、一攫千金を目指して頻繁に無謀なビジネスに手を出していたジョン。そのために家を空けることが多く、たまに帰ってきたと思ったら、話の内容は事業の失敗と負債のみ。そのため妻は愛想を尽かして家を出る。
そんなロクでもない父だが、ジェニファーは子供の頃から大好きだった。母親の再婚相手とは馴染まない彼女はそれからも苦難の人生を歩むが、節目にはいつも父の存在があった。ジャーナリストのジェニファー・ヴォーゲルが2005年に発表した回顧録の映画化だ。破滅型で権力や既存の価値観にとことん刃向かうジョンの造型は、いかにもショーン・ペンが好みそうなキャラクターではある。そんな父親に複雑な感情を抱きつつも慕っているジェニファーも、肉親に対する愛憎相半ばするスタンスを良く表現している。
しかしよく考えると、ジェニファーの父親への“評価”は、結局は一緒に過ごした時間が普通の親子に比べて少ないことが大きいのではないか。たまにしか会えないから、ジョンは娘にいい顔を見せようとするし、ジェニファーは父の荒唐無稽な話に目を輝かせる。同じ屋根の下でずっと生活を共にしていれば、互いに納得できない部分が表面化する。
もっともジェニファーは大人になった後に父の無軌道な所業を知るのだが、それでもジョンを否定しきれないのは子供の頃の思い出があるからだ。反面、ジョンの妻パティやジェニファーの弟ニックの内面が掘り下げられていないのは不満でもある。ショーン・ペンの演出はドラマ運びは手慣れているとはいえ、脚本に深みが足りないのでインパクトに欠ける。
ジェニファーに扮するのはショーンの実娘ディラン・ペンで、かなり健闘している。ニック役も実の息子のホッパー・ジャック・ペンだ。ジョシュ・ブローリンにノーバート・レオ・バッツ、エディ・マーサン、キャサリン・ウィニックといった脇の面子は手堅い。だが、映画としては物足りない。