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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「共喰い」

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 終盤まではイイ線行っていたのだが、原作には無いエピローグが全てをぶち壊してしまう。原作者の田中慎弥はこの部分を絶賛したらしいが、冗談じゃない。取って付けたような脚色など、百害あって一利無しだ。

 昭和63年の夏。下関市の河口近くの寂れた地区に住む高校生の遠馬は、粗暴な父親の円(まどか)とその愛人の琴子と3人で暮らしている。実の母の仁子はとっくの昔に家を出ているが、近くで鮮魚店を営んでおり、密かに遠馬を見守っている。円には性交の際に相手を殴るというクセがあり、仁子が出て行ったのもそれが原因なのだが、遠馬はその性癖を自分も受け継いでいるのではないかと悩む。

 遠馬には千種というガールフレンドがいるのだが、ある日彼女とのセックスの途中で相手の首を絞めてしまったことに愕然とする。円の子を宿した琴子もやはり家を後にし、欲望を持て余した円は千種をレイプする。逆上した遠馬はこの歪んだ家族関係を清算しようとするのだが・・・・。

 淀んだ川の水のような、登場人物達の行き場の無い情念が交錯し、映画は濃密な空間を提供する。血の濃さから抜け出そうとして藻掻く人物像は、言うまでもなく青山真治監督が出世作「Helpless」(96年)から継続して取り上げてきたモチーフだが、本作でもそれは踏襲されている。

 さらに本作の時代設定は80年代後半のバブル景気の頃であり、浮かれる世間とは裏腹に、目の前の懊悩に身もだえする主人公達を接写することで目を見張るコントラストを生み出している。演出テンポには弛緩したところが無く、今井孝博による撮影や山田勲生の音楽も的確だ。

 さて、問題はラスト近くの扱いである。原作とは異なり、映画は“昭和の終わり”を強調しているが、これがまるで不発だ。仁子は空襲で片腕を失っているが、それを無理矢理に天皇の戦争責任やら何やらに結びつけようとしている。脚本担当の荒井晴彦は団塊世代であるから、リベラルな視点を挿入せずにはいられなかったのだとは思うが、そのあたりがドラマから完全に浮いている。

 だいたい、小市民的な彼らに大仰な“歴史認識”なんかをさせる義理は無いではないか。そういうネタを扱いたいのならば、映画のあちこちに抑制的な暗示を配備するに止めておくべきだったろう。

 遠馬役の菅田将暉は不敵な面構えと鋭い眼光で、観る者を引きつける。今後の活躍が期待出来る逸材だ。円に扮した光石研、仁子を演じる田中裕子、共に目を見張る力演だ。琴子役の篠原友希と千種に扮する木下美咲も物怖じしないパフォーマンスで盛り上げる。それだけに、脚色の勇み足が惜しい。

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