2020年作品。良い映画だと思う。リアルタイムで劇場鑑賞していたならば、確実にその年のベストテンに入れていたことだろう。誰しも若い頃に体験した掛け替えのない出会いと、それが後の人生に影響を与えていく様子を普遍的かつ内省的に描き、しみじみとした感慨を呼び込む。各キャストの熱演も光る、青春映画の佳編だ。
27歳の石井悠二は俳優になるため上京して数年経つが、仕事はなかなか回ってこない。同棲中のユキとの仲もしっくりいかず、鬱屈した日々を送っていた。あるとき、彼は高校の同級生の多田と偶然再会して昔話に花を咲かせるが、彼らが真っ先に思い出すのは、学内の超問題人物だった佐々木のことだ。後日、長らく消息を聞かなかったその佐々木から電話が掛かってくる。悠二たちは佐々木の様子を見るため、久々に地元の甲府に足を運ぶ。
悠二や多田も、決して恵まれた生活を送っているわけではない。特に悠二の境遇は崖っぷちだ。しかし、それでも故郷を後にして自分の進む道を歩いている分、能動的な人生を選択していると言える。対して佐々木はマトモな職には就けず、それどころか地元から離れることも出来ない。そもそも高校時代から佐々木の人生は不遇だった。母親はおらず、父親はほとんど家に戻らない。ただ、彼は極道者のような父を見捨てられず、ヤケになって悪の道にも入らずに親を待ち続けている。そんな彼でも学校で奇行に走れば周りの者たちは注目してくれたのだ。
しかし、卒業してみれば知り合いはいなくなり、無為に日々を送るしかない。佐々木は学生時代の面白おかしい体験だけを糧に生きているのだ。この、究極的にモラトリアムな次元に捨て置かれた人間の存在は、実は悠二たちの“一部”でもある。佐々木と過ごした日々を、彼らはこれからも思い出すのだろう。何をやっても許された若年期のメタファーとして、佐々木は永遠に生きる。
内山拓也の演出は基本的には平易だが、時として悠二が出演する舞台劇のやり取りが佐々木との関係性とクロスしたり、ラストには大仕掛けを用意するなど、作家性を十二分に発揮する。佐々木に扮した細川岳はまさに怪演で、ぶっ飛んだキャラクターにもかかわらず目覚ましいリアリティを獲得している。脚本にも参画しており、今後も期待できる人材だ。悠二役の藤原季節をはじめ、萩原みのり、遊屋慎太郎、森優作、井口理などキャストは好調。佐々木の父親を演じる鈴木卓爾の存在感も見逃せない。